金曜日, 11月 30, 2007

搬入日は気が立ってるから

いつもの道を自転車で走っていたら、やけに褐色を目に感じる。おかしいなと思ったら、歩道に真新しい黄色の点字ブロックが多く取り付けられていた。本日、個展の搬入日。作業をお願いした面々に、その道を同じように自転車で通るときに「何かがこの道は変わりました!さて何でしょう? 既に皆さんの視界に入っています!」とクイズ形式で出題したら、興奮しすぎだと冷静な御指摘と「やはり、搬入日は気が立ってるから」と総括まで頂く。それは本当に総括で、いろいろ何かとうるさくしてしまうことばかりだった。タフなのと、鈍感なのを履き違えてもいけないし、迅速なのと慌てふためくのを混同してもいけない。
名監督にならねば!
冷静かつ迅速な みんなのおかげで、作業は無事に完了した。感謝しきり。ありがたし。

皆でそのまま ギャラリーアートフェチから、新栄のカフェ パルルへ。「eye sight」展のオープニングの終わりかけへ駆けつけた。絵を描く人は、音楽もしたくなる。視覚を満たした者は、聴覚も満たしたくなる。そんな話が あらわれてた。
近くの中華料理屋で乾杯。西山氏が友人より電話で聞いて、店内のテレビのチャンネルを変えると、ニュース23で峰田が歌っていた。
僕らはそうして町へ車で戻り、それぞれの家路についた。
立っていた気がゆっくり畳まれていくのを聞くが、それが積もっていって、自然に壁が地中になるのだろうと思う。

http://www.parlwr.net/cat6348250/index.html

http://artfeti.main.jp/

木曜日, 11月 29, 2007

付け加えるなら

付け加えるなら、
机の上に敷いた透明のゴムマットの下には、ちょうど挟むのに適したハガキだと思う。
最近やたら人身事故が多くて、胃が痛い路線で今日も帰った。
猫の鬱が、ひっくり返った部屋のなかで、新しい居場所を探そうと、擦り寄ったり、噛み付いてきたりする。なんでこんな派手な色を買ったんだろうという靴紐 にじゃれさせると、どすどす飛び跳ねてくれる。今夜はスーパーのタイムセールで買ってきた秋刀魚の塩焼きと白い御飯だ。この前のタモリ倶楽部で秋刀魚の食 べ方をやってたから、それで食べたくなった。思いっきりテレビじゃなく、タモリ倶楽部で刺激される購買欲。残った骨をそのまま鬱のお皿に入れてあげれば、 うにゃうにゃ大喜び。ゴミも出ない自然な構造のはじまりだ。しかし家猫 100%のせいか、いちばん太い骨を残してやがる。なんたる骨抜きキャット。語呂遊び。部屋が寒いのならばと、採用して二回目の冬となるプラスティック湯 たんぽを起動させる。ガスで湯を沸かす。布団ができました。いつでも眠れます。いろいろやること数えながら、本当に大切なことを見定めるために ここは敢えて寝る!( 丸C,「燃えよペン」 )か??いや、敢えて布団を完成させた。膝の上で静かに寝ていてくれればとても優しい。でもいきなりガブーッ!それは俺が見失ったことへの警告? 今度は何を付け加えるべきで、何が要らないのかって。

水曜日, 11月 28, 2007

もっと愛しあいましょ

ひと月前ほどから、愛機 我がBook 白G3 が、銀の据え置きが新しくやってきたのを見て悟ったのか、画面をめいいっぱい開けると何も映さないという恥ずかしがりやな仕様になってしまった。所謂 ヒンジ部分の断線故障というやつらしく、Book では最も多くやられやすいところのようだ。Apple に電話すると、機種の修理可能期間が終わってしまっているので「騙し騙し使ってください」とのこと。というわけで他の修理業者には出さず、半開きで作業を するというのがオフィシャルスタイルである。印刷ジョブを繰り返すくらい問題ないとガーガーやってたら、そっちはうまくいくのだが、データをコピーしよう と同時に USB接続していたケータイが急に立ち上がらなくなった。1Gのメモリースティックを調子こいて外部メディアとして使いまくっていたのが災いしたか。これ というのも、新銀と旧白がやはり仲悪くって ターゲットディスクとして繋がらないからなのだ。みんな同じくらい愛して止まないのに。あいつらは生きているという言葉は本当でした。ケータイ困った。う んともすんとも言わない。やりかけのメール交渉はどうなってしまうのか。合間合間に奏でている指先のメッセージはどこで昇華するのか。そもそもこのおおも とにある源泉は何だ。己の愛の脆弱性か。旧白より前は、グラファイトの 元祖 DVモデルがいたんだ。あれも中は動いていたが、液晶が飛んだ。何も見えなければ人間には分からない。心の目に直接繋ぐコネクタが要る。

火曜日, 11月 27, 2007

迷い道を楽しむ

「オタクの迷い道」(著,岡田斗司夫/文春文庫/2003)をもうすぐ読み終える。これが面白い。TV Bros. での連載コラムを収録した後に、ボーナスコンテンツと称した対談や補足文などが充実していて、連載当時 95年あたり とのギャップを埋めている。ここ十年でオタクの世界はめまぐるしく変貌しているのだと一望できる。
いくら世代分けを論じていろんな判断が行き交ったとしても、オタクと自己を明言して、ヘマをしたことも体験なんだと捉えて行く・・生き方はとても前向きで楽しい。

http://netcity.or.jp/OTAKU/okada/library/priodical/mayoimichi/index.html

月曜日, 11月 26, 2007

画竜点睛を欠く

ステータス表示は「画竜点睛を欠く」だ。
どこに点を打つかで決まる。
これで百人もの味方を得るか、敵をつくるかだよなと呟く。
何度も繰り返しているうちに自分が求めているコントラストが意識される。
今度はそれを一蹴するのも意識する。
表示を「????」とさせて、ほくそ笑みたい。
次の瞬間 チャラチャ チャッチャッ チャッチャー とトランペットのファンファーレが鳴り響く。

日曜日, 11月 25, 2007

夜の淵

夜の淵で、あぐらをかく三人
ポン酒の名前はもう少ない
誰彼かまわず電話が鳴る
君のことを思い浮かべる
はぐらかしても、言い続け、陰にしたことはいくらぼそぼそ包んでも
眠気には勝てない
勝たなくてよく
そもそもはじめから戦ってなんかいないんだから
それは言い訳でした
清い酒と書く理由を述べよ
もとい有り様を聞かせてほしい
夜の淵では明日が見えないらしい
そこには行ったことがないので、何を言っても相手にされない
君は泣いていたねと歌うのは
黒髪の歌手だけに非ず
もうすぐ灯油が切れて、凍え始める

土曜日, 11月 24, 2007

KY ばんざい!

我ながら「前スレを読め」とはあんまりだった。
KY ばんざい!
それは本音である。
何も空気を読むことができなくても、感動することはある。
心を動かすものは、空気に同調させるだけの上手な言葉ではない。
KY じゃないかと臆病になっていることが怖い。
KY と指を指す空気を作り出している正体不明の空気が最も怖い。

駐車場の屋上から売り場に戻って、とにかく売りたいだけの店員をかいくぐって、俺たちは何をしてきた? でも何かを言いたかったからここにいたんだよ。それを忘れちゃだめだ。

金曜日, 11月 23, 2007

とても切ない顔で

THE PYRAMID のレコ発ライブに行った。
いちばんはじめに psycho+logic 。
新曲はとても切なく聴こえた。ただホームから電車に飛び乗るというだけだったのに、そこから思いに耽るのである。
体育館座り。背筋を伸ばす。ゆらゆらと踊る。心の中で踊る。
多くのゲストバンドを堪能し、PYRAMID へ。
積み重なった音の間はとてもキレがいい。
それは "吐く" とかじゃなく、もっと超えていくものだ。

「Star Strar」(2006)

Star Star 口とけむりの間に広がる
Star Star 口とけむりの間に広がる

http://www7b.biglobe.ne.jp/~the_pyramid/

http://www.geocities.jp/original_sol/

木曜日, 11月 22, 2007

See how the world goes round. You've got to help your self.

今夜は、ずっと画面を見ています。

"世界がどのように回っているかを見ていてください
あなたがあなた自身を助けるのです"

「以心電信」(作詞, 細野晴臣、ピーター・バラカン/作曲, 坂本龍一、高橋幸宏/1983)。

http://www.youtube.com/watch?v=sJgtyMbfYAY&feature=related

http://www.youtube.com/watch?v=PdhJXGhBcj0&feature=related

水曜日, 11月 21, 2007

アイディアをあきらめない

先日の NHK プロフェッショナル。ヘアデザイナー加茂克也氏の回は最高にかっこ良かった。ファッションデザイナー渡辺淳弥氏とパリコレに挑むその打ち合わせのやり取 り。仕事を信じている仲では、うるさい注釈など無い。限界ギリギリまであきらめないという一流の世界は、実力と結果に裏打ちされた世界だ。
テープひとつ、古道具ひとつ、見慣れたハンズのビニル袋ひとつで動き回る氏は、とにかくアイディアをあきらめない。それが、そこにいることのできる力だった。

http://www.nhk.or.jp/professional/backnumber/071120/index.html

火曜日, 11月 20, 2007

超えるのは一瞬

季節外れで PU-PU-Bi-Do
君に出会えて PU-PU-Bi-Do
ハイナ ハイナの声がした
いつだいつのこといつのまえ?
いつだってんだろう
君が落ち着いて眠るのは

浮ついてるんじゃない。
超えるのは、一瞬だけれど、そこで明らかになる。

月曜日, 11月 19, 2007

Come sta TOKYO?

Como sta, TOKYO?元気?
晴れた空の底で
丸ノ内を背に、そっと外苑歩こう
子どもの頃から ひとりで遊んでた
悲しいことはどこにもない
君を好きにならない その訳がある、僕を裸にさせるから
Como si sente?
Como si sente?
いつだって
君のいる南を見てるのに

「Come sta TOKYO?」(作詞、曲,白井良明/1991)

虚実入り乱れるところからのリアリティ。
綴り歌の醍醐味なり。
シンガーソングライター?おんやまぁ!ロックよロック。

http://www.tonpi.net/bokulog/2007/08/14-1927.html

日曜日, 11月 18, 2007

やけっぱちのマリア

少年のなかで醸造された女性の存在は、実体を持たない。
それは自己循環を繰り返すだけの、幼い恋なのだった。
ヒゲオヤジがこっそり作っていたダッチワイフに入り込む理想の彼女。
「やけっぱちのマリア」(著, 手塚治虫/1970)は異様な構造を勢いで持っていくエネルギッシュに溢れる。中学生はいつでも純だろう。ケータイ裏サイトなんて見てたとしても、詩のひとつやふたつ指先で走り書きしてらい。
空き缶を引き鳴らし走って行く車から、新郎の手塚治虫は僕を振り返っていた。

http://ja-f.tezuka.co.jp/manga/sakuhin/m075/m075_01.html

土曜日, 11月 17, 2007

re-action

なまめかしい言葉でなまめかしいことを、なまめかしく読みあげているのを、何やら神妙な面持ちで聞いているのはぎこちないかも。
笑うというダイレクトな反応のように、火照ってくるとか、うっとりしてくるとか、オーディエンスというのも座ってしまえば賑やかな行為だ。
もっとも、客席だけでは場には成らない。
キスだなんだという前で、おいおいおいっていう表情になってみてもいい。
ヒューヒュー言おう。文句はないか?
展覧会場でおしっこちびってしまってもいい。映画館で号泣するなんて素敵なこと。

金曜日, 11月 16, 2007

眠りにつくまえの夢

こことそこには違いがなければいけないの。
そうでなければ、こことそこにならないから。
ここにあるのは可視化された間。そこに見える間と濃さが違う。
これらを横切っていいのですか?
ええどうぞ。横になってもかまいません。
向こうとの違いはどんなふうだったか、思い出しながら、天井に至る間が目に入る。
「眠りにつくまえの夢」櫻井里恵さんの個展にて。
それから向こうはどうだったか。聞いて、その違いを前にした。

http://www.nua.ac.jp/prog07/details.php?key=361

木曜日, 11月 15, 2007

SELenological and ENgineering Explorer・かぐや

昨晩 NHK で放送されていた 月周回衛星「かぐや」からの映像を、今朝のすし詰め電車のなかで思い浮かべることは難しい。
それは夢想に溢れた絵のようで、本当に月の空から我々の上空にカメラを向けたものだという。
アポロ12号に乗って月に降り立った アラン・ビーン氏が出演していた。何かを急き立てるようにアラン氏は「素晴らしい」を連呼した。同時通訳の技術が足りなかったのではないはず。それは本当に「素晴らしい」と呼ぶしかないと言っていたのだと思う。

http://www.youtube.com/watch?v=EkHuRRDshhg

http://www.jaxa.jp/projects/sat/selene/index_j.html

http://www.youtube.com/watch?v=Z6YArO9tRKk&feature=related

水曜日, 11月 14, 2007

Bad scene

予定切り上げさせてもらって急遽の作業のために、すぐに帰る。先日、0:00 までなら百円だよと急いで借りたレンタルDVD はその日のうちに借りたことになっていたので、新作は二泊三日としながらも実質は一泊二日だったことが判明。延滞料金を渋々払う。他の数本の旧作を二百円 で借りたくらいの計算になってしまった。何かと乱雑な我が未確認が招く Bad scene 。

火曜日, 11月 13, 2007

How did you feel it?

さっきまで顔を合わせていたのは、すぐに背中、そして走り去った。ギアが入れば、行かなければいけないのは同じ。僕にもその仕事が降りればそうする。呼び 止められて、知らずに落としていた書類を渡してくれた美容専門の学生らも、足早に消えた。歩道橋を超え、上着を脱いで、冷たいレントゲン台に抱きつく。廊 下でひとり バレエのふりで飛んでいたのはちゃんと見た。高層ビルはどうでもよく、君に何度も連絡する。どんなふうに、ふわりと飛んでいたのかと。

晩には即興のライヴがあった。リズムマシーンとトランペットが上下に行き交っていて、僕はのってた。

月曜日, 11月 12, 2007

シチューより

クレアおばさんの絵本つきシチューには牛乳を最後に入れる。
温かくて美味しい。蕪入り。
それから、半どんの今夜はとても穏やかに。マッサージバーは冷蔵庫で眠ったまま。
遠い北の国から送られてきたビデオには、僕らの言葉を受けた写真家が、こちらを見て語っていた。
それからいつ頃眠ってしまったんだったか。
えらく冷え込んだのはよく覚えている。

日曜日, 11月 11, 2007

狂気乱舞し散財する、アートへ!

走ったけれど、サイン会に間に合わなくて残念無念。アートフェチにて飯田淑乃さん個展「ゴヤフェチ」のオープニングイベント。既にギャラリー内は、熱狂の後となっていた。アイドルオタクの狂喜乱舞はおそらく、このビルを軋ませるだろう。

下劣な言葉に酔わないように、自らを戒め、性癖を満たす欲望の先へ、向かうには。
ここにある我が心のままを、踊り狂う等も手だ。

http://artfeti.main.jp/EXHIBITION.html#next01

http://www.youtube.com/watch?v=UJUgMfmpHaw

土曜日, 11月 10, 2007

目映さの輪郭

ホームエキスポ岩倉店を満喫して、ひととおりミッションコンプリートす!
うどん食したあと、少し遅くに +Gallery でのオープニングパーティへ。

「笹岡敬 個展」。
煌煌と待ちながら、その空間はゆっくりと向かってくる。
空間のはじまりと終わりは、緩急を持っていて、眼球の地下水に流れ込む。
目映いものは、塞ぎ込もうとしたものの肩を叩く。
穏やかにやさしく、それぞれの正確さに合わせて。

http://homepage3.nifty.com/plusgallery/

金曜日, 11月 09, 2007

個展「沼が無い」

nforamtion です。十二月に、大須のアートフェチにて個展を行います。



個展「沼が無い」

会期・2007年 12月1日 (土) - 23日(日) 土日のみ開廊
   13:00-19:00 入場無料
   ※12月7日(金)のみ、18:00-21:00 特別開廊。

会場・ギャラリー アートフェチ
   名古屋市中区松原 1-6-27
アクセス・地下鉄名城線「大須観音」駅 3番出口から徒歩7分。
     http://artfeti.main.jp/about.html


また、本日よりホームページを再編しました。個展のお知らせも載せております。
作品などを見やすくし、ブログも中心に位置づけました。どうぞご覧くださいませ。
更に情報は追ってお伝えしていきます。

http://jinmurata.jpn.org

木曜日, 11月 08, 2007

さよならみどりちゃん

「さよならみどりちゃん」(監督, 古厩智之/原作, 南Q太/星野真里、西島秀俊/2005)を見ていて、「あー」と言う。タクシーが走り去ったあとの地続きの先で、抱いたり惚れたりのすったもんだが地続き で、僕らはコンビニとか行き交っているんだなと思って「あー」。
何をしてんだろというのは他人事だと思えるね。でも彼女も彼も、切実なところでうごめいてるんだな。この撮り方は好きだわ。ぺろっとした下着や、狭苦しい ベランダの感じ。男の背中。チャリチャリ言うベルトとズボン。丁寧に折り畳んで、煙草も姑息にも忘れない。場末のスナックから、陽を受けるシーツまで走っ た。ヒールがペチペチ鳴って いやになる。ムキになる。絹目の写真のようにざらざらした空気で撮られている。どうしようもない彼女たちに、もっとどうしようもない彼ら。それは誰でもな い自分と同じ。アスファルトは夜遅いほど固くなり、人を拒む。
だからもう最後だから歌って。君がたおれることなんてない。男が何か決めてるかどうかなんて、些細なことでしかないよ。だからそうばんざいして終わろう。

http://actcine.com/midorichan/

水曜日, 11月 07, 2007

働きマン・日テレドラマ版に思う

毎週欠かさず「働きマン」(作, 安野モヨ子/2004-)のテレビドラマを見ている。何かが足りない!といつもピーピー言う。連続ドラマの文法に沿って作れば、こうなるだろうと言いながらも、何か決定的な不足要素を感じていた。
近所のレンタルビデオ兼書店にて、ビデオの貸し借りをした後に雑誌「モーニング」を立ち読みした。原作は二巻くらいまでしか読んでいないけれど、話はオム ニバス形式でもあるので最新の回でも楽しめる。ぐふぐふと読み、やはりドラマには存在しない興奮を覚える。そのひとつの理由が おぼろげながらも見えはじめた。

それは登場人物たちの言葉である。漫画の「働きマン」たちは、物語の進むなか、ずっと、自分の仕事についての思いや葛藤を独白し続けている。いや、むしろ物語のあらすじよりも、独白に感動する漫画ではないかと思う。
その言葉は、彼女、彼自身らに向けられている。私たち読者は、その姿に自分を重ね、親近感と同時に相容れない部分を見出すという緊張感を持つのだ。
それに対し、ドラマ版の言葉は大きく異なる。第一回はそれが特に強調されていた。毎回冒頭のシーンで登場人物たちは 突然、物語とは外れた異次元に位置して、カメラ目線になり視聴者に話しはじめるのである。その言葉は、視聴者がそこから共感をしはじめるように用意された 導入である。仕事の悩みやよくある話、ずばりその回のテーマそのものであるその言葉は、彼らの心境ではあるものの、とても歯切れ良く進む。
働きマンは頑張っているなぁという感触はあるが、キリキリするほどの興奮は起こらない。そこには、安心感のある視聴者との距離があるように思うのだ。あくまでも前向きなスタイルに帰結していくという・・。
原作の漫画は、最終的な解釈を読者に放りっぱなしにしていく鋭い危うさがある。働きマンたちの独白は、やもすると反感を招くものかもしれない。けれども、 彼らがそれぞれの正義を抱えて戦っているという姿がある以上、その反感も「働きマン」の力なのだと思う。そこには反感という時期を超えていく独白がある。 辛くて切なくて、どうしようもない戦いに向かう姿に揺さぶられる。編集部から蒸発してしまう男の話は、ドラマでやるのだろうか。僕はあの話に相当ピリピリ 来たので期待している。

漫画とドラマの違いは、それはそれでいいのだ。こう、ああでもないこうでもないと言いながら、菅野美穂がチオビタの CM に出ているのまで凝視するのが楽しいのだ。

http://hatarakiman.moura.jp/

火曜日, 11月 06, 2007

けれどもいま気がついたこと

パンとコーヒーで雨の前。
ウッドデッキ調の椅子や机を用いて、足を組み。
最近、映画館に行っていないね。
布団のシーツを付けるのだけは手伝ってとし、それまでは場末で熱唱。
僕らだけのために用意されていたと思ってみる。このウッドデッキ調から、ソファーまで。
語るべきことを、代用する気など毛頭無い。
ここで僕らは波超えできるか。
でも、こうしている時点で、大丈夫だとも思う。
僕らは袋入りのラーメンを買って帰った。
ラーメン食べたいがそのままなったんだ。
僕はこんなふうにお腹が空いてくるのが好きだ。お腹が空いてきたなと実感するのは楽しい。
やはり男の声は低く、女の声は高い。
お腹の空き方は似たようなものかもしれない。
何もわからなくてもさ。

「ひとつだけ」(作詞、曲, 矢野顕子/1980)。

http://www.youtube.com/watch?v=DoszxumG0Ds

月曜日, 11月 05, 2007

大寒町を歌うころには

ずいぶん冷え込んでいるねと言われてそうだねと返したけれど、それでも暖かいほうだと思うのは、僕がおかしいのか。
いや、十一月はもっと寒くなかったかしら。

もうじき、「大寒町」(作詞、作曲, 鈴木博文/1974)を歌うんだね。
と、言って、そうやって待つことにしよう。
今夜よ。
ざわざわ冷気を巻き起こして、理由に至る理屈を凍えさせろ。
打ちひしがれ、思いに悶えるまで冷えよ。

http://www.youtube.com/watch?v=f1DIzRl7rTA

日曜日, 11月 04, 2007

バイオハザード!とタイトルでは怖く、こぶしを効かせて叫べ

おつとめ品の筑前煮とレタスのオーロラソース和え、それにチーズとごはんが夕食でした。
あれよあれよと最後まで見てしまった昨晩の「バイオハザード2・アポカリプス」(監督,アレクサンダー・ウィット/ミラ・ジョヴォヴィッチ、ジャレッド・ ハリス/2004)がべったりと脳裏に付着している。いま映画館ではじまった続編で完結らしく、どうなるのか気になって歯痒い。ゲームの映画化は簡単なよ うで難しいと思った。もともと映画のようなゲームの売り込みで広まったものが、映画になるというのはパロディのパロディという構造になっていて、ありふれ たどこかで見たイメージが重複して続く。何も救われない気持ちになって見てしまった。面白いとは感じるのだけれど、空虚ではある。
テレビ放送で見ていたので、終わったあとに新作の宣伝があり、主演の ミラ・ジョヴォヴィッチ がカメラに向かって挨拶をする V が流れた。いかにもホテルの一室というところで簡易的に撮られたそれには、映画のなかでアクションをするアリスよりも少しぽっちゃりしていて幸せそうだっ た。

http://www.so-net.ne.jp/movie/sonypictures/homevideo/residentevila

土曜日, 11月 03, 2007

散乱で満たして

いまつかまえられたら、ずっとつかまえられそうなのを知っている。

金曜日, 11月 02, 2007

やっぱり心の旅だよ

古書 5っ葉文庫 で以前に購入した「やっぱり心の旅だよ」(著,/福満しげゆき/青林工藝舎/2007)が悲哀に満ちていていい。
帯に「しかし人生は続く・・・。(中略)失敗エロ まんが道。」と大きくあって、読後は本当にそんな気持ちになる。
コンビニなどで売っている所謂エロ漫画雑誌に掲載されていた短編をまとめたものだが、はたして読者のニーズにこれらは答えられていたのだろうか。おそら く、一部の層だけに親しまれていたはず。アクセル全開で興奮を高めていくという一般的な性の語り方ではなく、ゆっくりじっくりねちっこく、自らの愚かさも 情けなさも露呈していく性だ。
書名と同題「やっぱり心の旅だよ」がいい。魅せる場面は性描写ではないが、動きの細部でグッとこさせるのは性描写と同じ語り口である。

おじさんと少年は手を組み、娘や愛人、愛しの君のもとへ向かう。
そこに たゆたうのが心の旅なのかなぁ。

http://www.k5.dion.ne.jp/~fukuyuki

木曜日, 11月 01, 2007

三倍のはじまり

靴下のまま出ててきたようにそれは言われるだろう。
常滑駅から歩く道すがら。
入った和食店の三段弁当が美味しい。美術愛好家のおばさんらが展覧会の話をしているのが聞こえてきた。すぐそこの工房ギャラリー rin で行われている「TOKONAMECHI '07」の話だ。お腹を満たして、すぐに向かう。常滑の古い焼き釜も面影を残したまま、現代美術作品の展示空間となっていた。bnap で共に過ごした谷澤氏の作品は、砂浜の写真群を並べて追体験できるような作り。流れ着いた物へのサンプリングが完全に自己を軸に迫っていくのが剥き出しで 面白い。加藤優一さんの立体は埃をかぶった窓の前や、天井裏などに展示されていて、空間を作り込むのではなく自然に進ませていく流れを持っていた。はかな くギョロギョロとしている。小栗沙弥子さんの作品も空間を制するのではなく、自然に流していく気持ち良さがあった。作家ファイル置き場にあったフリーペー パーの作品ももらってきた。
たくさんの作品に関心しつつ、常滑を後にして名古屋市内へ移動し、ケンジタキギャラリーで鬼頭健吾個展へ。タイトルは「luminary」。じっと見てい ると、うっとりしながら色を追うようになる。インスタレーションも絵画も、内側から発光していた。それらは覚醒と陶酔を適度に持ち合わせているような気が する。

それから愛知芸術文化センターへ歩き、大ホールでコンドルズ主演の「愛知と青春の旅立ち」という 芸文センター15周年記念イベントのステージを見る。ダンスはもちろん。ロックライブにアニメーション上映、参加型の体操コーナーなど盛り沢山ですごく充実していた。
こんな目出たい日には、中日も優勝間近だと MCで煽られて場が更に湧く。

地下鉄の電光掲示板に、速報が流れているのを見ながら帰って、テレビをつけたら落合監督が奥さんと子供とで出ていた。監督本人は連覇の先に優勝したいという課題を抱えていた。
その表情に、人の三倍は取り組んでいるのだろうということを伺わさせる。奥さんと子供も、同じく父の監督姿を温かく見ている。

http://blog.goo.ne.jp/tokonamech07

http://www2.odn.ne.jp/kenjitaki

http://www.aac.pref.aichi.jp/bunjyo/jishyu/2007/condors/index.html