土曜日, 12月 31, 2011

今年はツィートで繋ぎ直したのだ

東京遠征の友人へツィート。携帯の電池がヤバイって言うから。

ツィートを控えて、充電はマクドナルドで?ってか、モバイルバッテリー買ったほうがいいかも。安物はすぐ無くなるんで注意!おもちの食べ過ぎにも注意!

金曜日, 12月 30, 2011

何処へ、何処へ行こう

東京で、今日限りのライヴを見に行く面々の話を二つ聞く。
僕は行けないが、東京や海外から来た面々に会う。
年が明けたら何処へ行こう。

何処へ、何処へ行こう。
ルーフトップライヴだなんて、どこまでもマニヤやね。

http://natalie.mu/music/news/60581

木曜日, 12月 29, 2011

一人忘年ワーク

駆け込み忘年会が行き交う。
女子会+忘年会というコアなのが今夜あると聞いた。その逆の野郎会+忘年だってそこらじゅうにある。混浴忘年会もどこかの温泉宿でやってるさ。
今夜は一人忘年ワークだ。
プリンターのインクは買い置きがあるぞ。非純正の注射器のやつ。

これが!なかなかどうして充填が面倒っだっ!
そうやっぱりそうかの賀状作成。

水曜日, 12月 28, 2011

世が明けたら

ラジオを聴きながら忘年会。イン・ザ もにゃハウス。
日中は 市の図書館にて借りてきた、浅川マキの「DARKNESS」I 〜 IV (1995~2007) 聴きながらコロコロしていた。ジャケ写は 田村仁という方。一文字テレコの御名前だ。
浅川マキを撮り続けた写真家。かっこいい。
夜は畳の部屋で、来年はドラクエやねぇなどと、食っちゃ飲み。
いや、今年はいろんなことがあった。
世のことも、自分のことも。

火曜日, 12月 27, 2011

実は Google+

休みになる前にの忘年会コンボよろしく それから掃除。ずっと掃除。
合間に iPodTouch いじって、Google+ さわる。
「ここではデジタルデバイスものの話題しか書かん!」と宣言。
Facebook と同じことポストしても仕方ないし、Twitter みたく呟いてもおかしいしね。
システム的には両者を足して二で割ったような Google+ だけど。
AKB の公式アカウント設けて、宣伝に使われるのを見て、何でもかんでも彼女らで攻めてきやがるなぁって、苦い顔。その苦いポストもして。
忘年会では やたら Facebook のメリットを聞かれた。
「儲けられてないから、言える立場じゃないですよ」なんてスルーしたりして。
Google+ 勧めても反応悪し。

https://plus.google.com/109180948792925649058/posts

月曜日, 12月 26, 2011

I don't like I don't like I don't like christmas day.

鈴木慶一「THE LOST TAPES 2」(2011)収録「GOD SANE THE MEN(やさしい骨の無い男)」の 仮歌コーラス。
「I don't like I don't like I don't like christmas day. 」
いいなぁ。

http://www.amazon.co.jp/The-Lost-SUZUKI-Tapes-2/dp/B005HJNUP6

日曜日, 12月 25, 2011

あゆち

文化フォーラム春日井で「高木正勝 in あゆち」鑑賞。
きめ細かい映像と音が大きなアトリウムの器に抱かれていた。
ワークショップも覗かせてもらい、たくさんの言葉がひとつになろうとする流れを見る。
外見たら雪。
字足らずでなく、字余りが好きだとは氏。

夜に「neWs」のエンディングパーティを アートラボあいちで。

http://inayuchi.tumblr.com/

土曜日, 12月 24, 2011

サンタは割らない

デカビタC の瓶が粉々に割れている。
馬鹿騒ぎなど無いはずの街を歩く。

日本は、そこまで格差社会だったのか。
AKB48 に二千万円使った奴がいるらしいという話を聞いた。
今夜は Siri を駆使してサンタのおじさんで。
手袋せずに触れってことかな。
ワレモノには軍手しよう。
剣の変わりにグローブを腋に据えるスーツよ。

http://www.youtube.com/watch?v=5qcmCUsw4EQ&feature=player_embedded

金曜日, 12月 23, 2011

もう何でも恋

星ヶ丘西山商店街でのプロジェクト「collect」から、新栄 シネマテークでの年末企画「何でも持ってこい!」へ。
山口監督の作品「take8」(2010)見る。高速道路の助手席に座って、ずっと女性と呟き続ける時間。
それは恋人だろうと思わせる会話だった。いや、何を聞いても会話だと思えてしまう撮り方なのかもしれない。
「collect」の会場で「商店街にあったらいいなのお店」の絵を描くコーナーがあって、もう何を持って来てもリンゴの店に恋してるッ!で呆れられる。
呆れていいものだと思う。恋など一人で。


木曜日, 12月 22, 2011

叫んでも許される場所

空っ風の吹く夕方、仕事場の近くで女性アイドルの野外ライヴが行われていた。
「オイ!」「オイ!」と追っかけファンらの歓声が響く。
あの場所は いま熱いんだろうなぁ〜。
叫んでも許されるのは、限定的な「祭り」だけ。
怖いもの見たさで覗いてみたい。
アイドル目的ではなくて、ヲタ芸目的。自分のなかの部分を見る経験。嫌悪と親近感 渦巻く。もう総体で熱くなって、儀式的であろうと。

水曜日, 12月 21, 2011

偶然を追求せず、思うだけ

森田芳光監督の訃報を知り、驚く。
昨夜 ちょうど「の・ようなもの」を見ていたのは本当に偶然だった。
これが何の関係だと追求はしない。
「の・ようなもの」が処女作だった。また、主演の 伊藤克信はこの映画で抜擢され、就職を蹴ってデビューしたとか。
そんな思い入れも結実しての道中付けだったのかなと思う。
多くの監督作を見たい。



火曜日, 12月 20, 2011

歩きながら話していた先

越してきたこの町で、嬉しいことはいろいろある。レンタルビデオ屋の品揃えが良いのはそのひとつだ。邦画の旧作をチェックしに行く。
「の・ようなもの」(監督, 森田芳光 / 秋吉久美子、伊藤克信 / 1986) を借りて来て、早速見る。

強烈な何かをしたいってのを、表に出せるのはそれだけで才能なんだろうなぁ。彼も、彼女も、言葉にすることだけで一苦労。そんな手間を語っている映画は なかなか無い。格好良い奴はそんなことに苦労しないの。格好良さそうに映る彼女もそうなのだ。
みんな、これが青春か、これが恋なのか、人生の何なのかなど捉えられずに居てもがいているものだ。だから まどろっこしいし、そのために動く時間が要る。
「男なんて、放っておけば失恋の痛みも癒えて働き出すさ」と、お師匠さんが言い放っていくのは、本当にそうで、そんなものを許してくれる仲間があったんだろう。それは幸せな場所だった。
いきなりラストシーンを YouTube で見る罪を許し給え。
尾藤イサオの歌うエンディングが良い。そしてここへ至るまでの「道中付け」が、僕には感動的なのだ。
ここは、彼が自分を捉える時間だから。

http://www.youtube.com/watch?v=9BauFOL4M5Q

月曜日, 12月 19, 2011

前夜を買う

小林よしのり責任編集「前夜」(幻冬舎) vol,1 衝動買い。
ゴー宣「放射能恐怖の落差」はわかりやすく、嘘だらけの原発報道に麻痺してしまった感覚をはたき起こした。

そして今時、若い草食系男子は面倒で、遊び慣れた肉食系オジサマに若い女性が惹かれるという話も…。

https://www.gosen-dojo.com/index.php?page_id=0&block_id=13&active_action=journal_view_main_detail&key=joy4p6jhg-13&post_id=763&comment_flag=1

日曜日, 12月 18, 2011

ア"ーッ!ネット TV はじまる

帰省から帰還。生中じゃなく生大だっ!ここから50年。
つまらないことで喧嘩して電車を止めぬよう。
毒を盛られりゃ倒れるまでだが、月すら食べたい。骨を渡して、まだ綴る気だ。怨み節でもお涙頂戴でも、奇をてらったアートかぶれでもなく。話したいことを!

意中の彼女の為の番組、異様な長回しにみんなニヤニヤもやめてシーンとした。

土曜日, 12月 17, 2011

鬱は溶けて

朝は空が晴れ上がっていて、雲ひとつ無かった。長い一日。
「あんたの人生は最高やにー。」と頷く。

震災のテレビを見ていた部屋の、窓には小さな丘が面していた。
坊さんの仕事は言葉の仕事であろう。

金曜日, 12月 16, 2011

祖母の通夜

自分の人生で初めて、お通夜を過ごすという体験をした。叔父さんと共に、缶ビールを飲んで、テレビは原発のこととバラエティーを少し。何もすることは特にない。線香の火が絶えぬようにするにしても、渦巻き状になってくれているので、慌てなくても大丈夫。時折覗く。あとは横になる。熱を持った石に線香を擦り付ければ、火は続く。そんなイージーで良いというのが、いまの親族同士の向き合い方そのものである気もした。
みんな便利になっているのは良いことであろうし、手がかけられないくらい、手当は安く、言葉は拙い。
自分はおばあちゃんっ子だった。渡された手紙をスキャンして、iPad に入れている。あと五十年は働けます と書いてある。
夏休みを擬似体験で満喫するゲームなんて要らない。従兄弟らはみんな出始めのファミコンに夢中だった。
祖母は夜中に悪い冗談を言う。
常に何かを悔いて、リポビタンD とノーシンを絶やさなかった。
胃が強靭だからと皆 言ったし、実際にそうだった。
太平洋戦争はいやだった。電灯を消す話を期待して、思いのほか食いっぱぐれなかったとしても、別離の話は小学生には早すぎる。
早すぎるのは時間のことで、いつも思い出していたのだろう。
日々の出来事を書き留めた大学ノートを貰う。
挨拶をほのめかした手紙も、美術館の裏で綴るための絵も。
涙程度の水では、止むことはない火へ託していった。
思い出すことのできる者が話をする。
そのために今夜がある。火はそばにいられるきっかけだ。イージーでもいい。もともと気がまえることなんてない。
家族はそうなんだ。

木曜日, 12月 15, 2011

流星群ってほど多くは

月明かりが強くて、流星群ってほど多くは見れなかった。
近くのパチンコ屋かラブホテルのサーチライトも横切って邪魔をする。
大きな光の流星は、そんな邪魔も飛び越えて目に入ってくる。
小さな光の流星も飛んでいたのだろう。
屋根の上から、幾つかの家族が腰をおろしていた。

水曜日, 12月 14, 2011

実は読めたものか?

何がニュースになるかなんて分からない。突然に報じられて、ああそうか、ここまで来ていたんだなと思い返す。
それの繰り返し。
実は読めたものか?
無意識に、いや意識的に、見ないようにしてきた自分の轍は、雨水で固まり、風でも遠くに行けない。
実はぐるぐる回っているだけですよと、報じる本は誰が書いた?

火曜日, 12月 13, 2011

クリスマスエキスプレスに乗りながら金麦を飲もう

発泡酒「金麦」の吊り広告は、檀ふみと乾杯している男側が透明人間になっていて、ビールグラスだけが浮いている。成人漫画の透明人間男子と同じ表現だ!

こないだ YouTube で見た かつてのJRクリスマスエキスプレスTVCM、初期のものは 女性の表情にのみスポットを当てていて、男子はシルエットくらいしか出てこない。
後期のは、男女それぞれの立場みたいな編集になっている。
初期のほうがいいなー。

いまはネットで連絡できるから、遠恋でも寂しくないとか、嘘みたいな噂聞く。嘘だろう。

月曜日, 12月 12, 2011

Live with ZINE

今日の沖ゼミ ZINE 展のオープニングは楽しかった。20年代の前衛映像を前に詩を読んだ。
自分のZINE「DemoPoems」を開いて読んだ。綴じていない ZINE はパラパラと落ちた。


日曜日, 12月 11, 2011

文庫本数冊に座席を与えている者の、魂胆とはなんぞや

二人掛けの車両が混み合っていた。そのなかで空いている席を見つけたのだが、近寄ると人が避けるようにしている。汚れているのかな?と思い、見ると、文庫本が数冊積んであるではないか。
その横に黒づくめの背広風の若い男が座っている。
ヘッドホンをしたまま、男の視線は遠い。
世界平和がどうとかいう啓発本に、花柄のクリアフィルムのブックカバーが付けられていた。その文庫本に座席を取られているせいで、人が立つハメになっている。
しかし、男は周囲を拒絶しているように見える。
座りたいが…。この男は、トラブルの火種を剥き出しにしている。

男のものなのか、それとも、以前から置かれていたのか。
もっと近くで見たかった。
何かの儀式のようにも見えた。

不可思議な感触を抱えたまま、アートラボあいちでの「neWs」展でのイベント、「ア"ーッ!ネットラジオ in neWs」に携わる。
今朝に見た彼のことを言及すべきだったのかもしれない。もっとも自分は機材関係だけで、出演はしなかったが。


土曜日, 12月 10, 2011

バルスしない

レンタルビデオ屋で 小学生の子が「けいさつは見たよー」親に話していて、何か教育番組的なタイトルかなと思ったら「ダウンタウンのガキ使いやあらへんで」年末特番 笑ってはいけない シリーズのことだった。
同じく日本テレビで「天空の城ラピュタ」(1986) が 放映されていて、何度目だよと突っ込む間もなく、後半の場面で破滅の言葉「バルス」を皆でツィートして、Twitter のサーバーを落とそうとネットが盛り上がっていた。以前に、2ちゃんねるやニコニコ動画を落としていたものだ。タイムラインは「バルス」一色になる。そんな盛り上がりはなかなか無いなぁと、わざと時を経てから「バルス」と呟く。意味は「閉じよ」らしい。「世界よ閉じよ」か。昨日の「キャピタリズム」見た後でなら そんな気分にもなる。ただ、破滅的な気分で終えないところがマイケル・ムーアの魅力なのかも。

金曜日, 12月 09, 2011

資本主義、愛の物語

「キャピタリズム」(監督, マイケル・ムーア / 2009)を見た。
皮肉の笑いをゆうに通過し、惨い状況に絶句と焦りを覚える。
何か得体の知れない大きなものが我々を制しようとしていて、それはあまりにも大きいから、全体を見てこれだと指すことが難しい。
正義の味方も、その恩恵を受けていたりする。
風前の灯火ですから。言ったでしょうと断りながら、明かりを持ってくる。それでしか照らせないような気に、こちらはなっているのだ。
この映画はもう二年前のこと。ウォール街を占拠せよ!はここから始まっている。邦題は例のごとく真意を捉えていない。
「ラブストーリー」と冠されているじゃないか。

http://michaelmoore.com/books-films/capitalism-love-story

木曜日, 12月 08, 2011

Ciao! DL

ムーンライダーズが、活動休止の宣言をして、発表されたラスト・アルバム「Ciao!」が、ダウンロード先行販売された。CD でも欲しくなるやもしれないが、とにかく聴きたいので購入。
なんだこれは、何も終わる感じがしない。だいたい、初めの曲のぶよぶよしたボーカルは誰の声なんだ?異様に挑戦的な感触を受ける。「Last Serenade」のような哀別は無い。何か求めてる。
後に LP も出るらしい。ライヴ会場での発売とのこと。それはマニア向けで、CD はどこか客観的に構成されているのだと思う。「Lase Serenade」は入っていないから。
ラスト・ファンファーレの後にこそ やけに踊り出すのが、ムーンライダーズらしい。

http://www.moonriders.net/ciao#main_contents

水曜日, 12月 07, 2011

「何卒」ナニソツもといナニトゾ

「I wish it could be Christmas every day.」( 作詞、曲, 鈴木さえ子 / 編曲, PSYCHO PERCHES ( 鈴木さえ子 鈴木慶一 ) / 1983 )は短い曲で、12月も短い。故に今年もそうなりそうだ。急募されていた仕事は終わり、「何卒」をナニソツと読む始末。

http://www.youtube.com/watch?v=sxH-dfScXq0&feature=relmfu

火曜日, 12月 06, 2011

押し入れキャット

押し入れが開いていて、暖気が吸い込まれていると思ったら 猫の鬱が見事に就寝していた。お客様用の布団が毎晩活用されているもよう。
灯油ストーブを買っていた。更にヒーターも持ち込んで来た。


月曜日, 12月 05, 2011

煽りたくもなる

昨日、neWsのワークショップのときに原発問題を書きたいとも聞いて、最終的にはその予告というか煽りコピーになったが、その帰りには45トン汚染水が海へ流出というニュースがネットに出ていた。煽りたくもなる。騒いでばかりのメディアがやけに静かだ。

日曜日, 12月 04, 2011

neWs 大号外 ワークショップ

作家のすることは何でも記事になる?「neWs 大号外 ワークショップ」を開催。参加者の方々に感謝。



土曜日, 12月 03, 2011

自分のリュックが無駄に重い

グループ展が久々で嬉しいという出品者の話を聞き、「そんなもんかなァ」と生返事を返してた。

ガラリア・フィナルテで、森田佳奈さんの個展「gardens」見る。
緑が落ち着き、大きくなっていた。
福田さんに「アートをやっていくのはたいへんよ」と話され、高いところにある DM を剥がす。そして貼る。
自分のリュックが無駄に重い。

自分が出品してるわけではないが、諸々手伝っていた neWs 展もはじまって、あらゆることがじわじわと、やって来る  2011年師走。
そりゃあいつものことで、ありがたいことですばいと返す。
もにゃハウス帰還。
猫の鬱を撮るデジカメはリュックのサイドポケットに。


金曜日, 12月 02, 2011

搬出と搬入の同時打ち上げ

neWs展 搬入終えて、アートラボあいちで行われていた 長谷部勇人氏、石堀礼子さんらのプロジェクト「You're home」の打ち上げに便乗させてもらって とんちゃん屋さんで乾杯。
詩を読めよと絡まれて、何か作ろうとしていたら、長谷部氏のオーバードライブしたアジテーション調の声に場は魅了されてしまった。

http://you-re-home.tumblr.com/

木曜日, 12月 01, 2011

密かに neWs

アートラボあいち 3F にて、名古屋芸術大学洋画2コース、大学院同時代表現研究 <洋画> の活動を紹介する企画展「neWs」が行われる。大文字と小文字が混在しているこの「neWs」という表記タイトルは、このコース、大学院から不定期発行されているニュースプリントに冠されている名称である。
その搬入作業を明日に控え、チラシや諸々の諸作業を手伝っていた自分は 何度か大学に通っていた。前期、後期に分かれる展示。イベントも多い。
遠隔操作は難しく、最終的には自分でやったほうが速いとしてしまいそうになる。それだと意義が無くなってしまうので避ける。故に牛歩と化すが、それでいい。

http://youga2news.jpn.org/


水曜日, 11月 30, 2011

もどかしさをそのまま

「君に捧げる LOVE SONG」(詞、曲, 岡林信康 /1979)は、そのまま気持ちに向き合って作られている。
嘘のない歌だ。
もどかしさすらもそのまま。そのまま歌うこと。それだけが進ませると。

http://www.youtube.com/watch?v=wm_SdFikZIY&feature=plcp

火曜日, 11月 29, 2011

山梔子の花と泣きぼくろの

君を描く画家は男ではなく
男なら誰かじゃない
モデルさんのお仕事をはじめた話はよく聞く
モデルさんに恋をした話も
果たして何に向かって
自分は詩を書いている?
君の横顔を取り出して、泣いたり笑ったりさせる言葉を編むことはしないだろう
花言葉 調べて、体言止めを愛の限りに繰り返せ
シヤワセなら
手をたたこう
手をさすろう
泣かなくていいさぁ
完成の恋を見届ける

月曜日, 11月 28, 2011

ともかく強行されようと

雨が降っていて、静岡の島田市で瓦礫受け入れという報があって、大学院でひとつ上の先輩がその辺りにいま住んでいて、反対活動をしていると知った。Twitter でフォローする。何も納得できる説明など無く、ともかく強行されるのは わけがわからない。
少しは放射能漏れるとか認めていたりするが、そもそも「少しでも」漏れてはイカンだろうに!
雨も降れば、台風もいつか来る。前例があって対処できる内容では無いはず。封じ込めるべきは反対派ではなく、放射能だ。
その可能性があるのなら、こんな方法は間違いだ。

http://www.at-s.com/news/featured/gareki/

日曜日, 11月 27, 2011

イントロすぐエピローグ

突然の気球は、初めての夜であるパーティ。
宵越しの金じゃなく、時間が無くなってすぐ日曜は夜だ。
どんな自己紹介がベストなのかなって走り書きを少し。二行程度。


土曜日, 11月 26, 2011

郊外のバー、二軒

並んで馬鹿ならいいよと言う影と、同じ死ぬにしても仕事をやり遂げたいと語る光。
自転車でなく、歩いて帰る。
後で家で飲もうと話していた大先生、既に居ません。
やはり肉食が影に流れる。隠しもせずに。

金曜日, 11月 25, 2011

女子大生の質問が全てを明らかにした

同級生の男子に、大地震が起きたらどうしようと話したら、そんなこと言うなよって返されてしまって、でも、じゃあどうしたらいいのって、何とか前向きに考えられないのかと期待して「デザイン」に何ができるかでも、「アート」でもいいんです。何でもいい。この見て見ぬふりが続く、薄暗い状況を変えていけるなら。例えあなたが自分の仕事に都合の良いことだけ並べていたとしても、私は気にしない。いまを変えようとしているなら。

木曜日, 11月 24, 2011

マーキー氏の名ツィートより

「意外と人の心は感染しやすいから
悲しさやイライラが感染しないように楽しいことを考えよう(^-^)/ 」

お気に入りの星マークへすかさず登録す。就寝前。

水曜日, 11月 23, 2011

喉元過ぎればで、何にもならない

森達也「A3」(2011)購入。
昨晩 TBS FM Dig に氏が出ていて、麻原は精神疾患になっているから裁判を死刑で終わらせず、治療を施して、明らかになっていないことを全て出さないと、何にもならないという話が良かった。

http://www.shueisha-int.co.jp/a3_mori/

火曜日, 11月 22, 2011

そして読むかな

昨夜は東山の本屋さん、オンリーディングで 永井宏の詩集を求めた。
2006年のだった。
大阪でのワークショップ詩集と迷ったけど、保留した。詩よりもワークショップの構造が知りたい。
今日の昼は昨日に引き続き、電子書籍化屋さんへ再度向かうつもり。
大槻ケンヂ「のほほん雑記帳」(1997)と、夏目房之介「マンガ学」(1992)の二冊を注文。

http://www.onreading.jp/

月曜日, 11月 21, 2011

牛歩な進行

休み時間のうちに何かひとつ、自分の進ませたいことをこなしていこうと決めて、今日は近くにあるという電子書籍化のサービスを行うお店へ。
映像編集会社が、片手間にやっているようだった。一冊 百円。遠方に七十円のところも見つけた。郵送しなければいけないが、まとめ注文ならここでも同じことだ。
納品は後日。
もにゃハウスの本棚は、壁に取り付けてあった一枚棚と、先述の「元・前のめり本棚」だけにした。無尽蔵に場所をとっていくから。絵や写真は、もっと貼りたい。

日曜日, 11月 20, 2011

ありがとう 落合

日本シリーズは接戦。シーズン中に解雇宣告を出された中日の落合監督 最後の戦いという、このエピソードはそのまま まるごと映画になりそうな話だった。
追いつめられたところに、ピッチャー返しで試合が動くという展開もあり、「こういうことは起こるんだな」などと思った。
ラジオではもの足らず、画面で見なければと、テレビの配信ソフトで観戦した。
悔しい敗北。

落合監督が現役の選手だったころ、小学四年生で、中日の試合を見に行ったことがある。中日球場だった。作文ノートに書いた 観戦日記には、最後に落合がホームランを打ったとあるけど、本当だろうか。子どもながらに演出している気がする。

土曜日, 11月 19, 2011

この花、落ちてたんだ

岡川卓詩さんの個展「この山、この平」。オルタナティブスペース CROSSING にて。
会場でのトークと、オープニングは人が多く熱気ムンムン。本当に熱くて、ガラスのドアが曇っていた。

インターネットから集めてきた花々の画像で作られる、どこかで見たことのある図。
それは ネットからでも冷たくなく、既視感を探そうとする目の動きがある。ああここスペシウム光線だよね。ジェット噴射の火も光もみんな花だから。

http://www6.ocn.ne.jp/~crossing/473.html
http://www.katch.ne.jp/~takuji/

木曜日, 11月 17, 2011

私はドジで強いつもりの 吉野家派

吉野家がセールで、牛丼だけモードになってて小気味良かった。
吉野家はキン肉マンと共に広がった。とは過去の話。いまや、すき家で二世が広告塔になっているくらいだかんね。

「早い、安い、うまい」って、強靭なキャッチ持ってる。
言葉を前後させる推敲もあったもよう。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/special/331/index1.html

水曜日, 11月 16, 2011

「手紙をまわす」だって

片山一葉さんと、文谷由佳里さんが名大 clas ギャラリーで行っている企画展で、片山さんのワークショップの企画名を知った。
「手紙をまわす」だって。
どんなんだろう。
小学校、中学、高校と、「手紙をまわす」の流行ってたなー。
女子はみんなやってた。
方法の呼び名は「手紙」で、芸が無いなーとか思っていたけど。
いまは楽しそうだなと思い返す。
仕事で行けないし、当時も参加できなかったから、何かしら知りたいなぁ。
http://www.vision.ss.is.nagoya-u.ac.jp/clas/programs/248.php

火曜日, 11月 15, 2011

良循環へ!

いろんな取り組みが試されて、チャンスとかタイミングとかになるはずと彼は豪語した。
それにはある程度、腰を据えてほしい。弱者が振り回されるだけの状況も読み切らないと。

名古屋市主催の、クリエイターズショップ「LOOP」のプレオープンパーティへ遊びに行った。
若手クリエイターらの、チャレンジショップというもの。

飲み会の席で、職場の方より「名古屋嫁入り道具」のビアカップを頂く。
大切に使おう。戸棚にしまう。
温かく、爽やかな風合い。
これで、飲む度に思い出すでしょう。

http://www.idcn.jp/loop/

月曜日, 11月 14, 2011

AR こもごも

先週、名古屋港 ポートメッセで行われた「LINKS NAGOYA マーケット」で、スマートフォン、タブレットによる AR 展示。

アプリは、展示会後も 街中での AR に展開される。
「セカイカメラ」より、「Jimdo」のほうが主催者側よりアピールするのには都合良いのが分かった。根本的にソーシャルかそうでないかという大きな違いがある。

http://www.idcn.jp/linkshub/market.html

日曜日, 11月 13, 2011

タナカさんのゴッホ

サイレンスダンサーのタナカアリフミさん公演「おどるゴッホ」。長久手文化の家にて最終日、見る。
ゴッホは美術館のものでなく、バブルで買い求めた企業のものでもない。憧れ続ける男のものなら良かったが、ゴッホは何にも属さない画家であった。
何のものでもないから、東の国の世俗絵をふんだんに取り入れたし、絵が自立できたのだ。狂人かどうか、読み解く者が先に狂おう。
少女漫画化された偉人伝のように、彼らは格好良すぎるくらいで居た。
「ゴダールのリア王」みたいなタイトルで、「タナカさんのゴッホ」と覚えてく。

http://sscape.blog27.fc2.com/blog-entry-344.html
http://utalier.blogspot.jp/2011/11/blog-post.html

土曜日, 11月 12, 2011

地震の前のものだよ

烏合のシュー皆で歌えるか。
プンプンの語り口は永遠にモラトリアムで泳げる。
食券は余って祭りは終わる。
これあげるよとお店の人に渡すと、いままで頑張ってきたのはなんだったの!という目をされる。
その通りだ。
これだけ重いと運んで来た本が一度も開かれないなんて。
図書館は水没しなかったのに。
駅から歩く。「砂丘」(作詞, 曲/橿渕哲郎/1977) を聴きながら。
もう青さのり干しは売切れてしまっただろうか、地震の前のものだよとおじさんは売ってくれた。
昨晩 食べたらとても美味しかった。
あらゆるものから蝕まれていくのが分かっているのか、明るいふりをしている空か、月は無い。
歌はまだ聴こえない。

金曜日, 11月 11, 2011

Last Serenade は三行半

ムーンライダーズが 2011年いっぱいで無期限活動休止をするという報が入ってきた。
「マジっすか!」
驚いて騒ぎ出しそうなところに、これを聴けと本日付けの ダウンロード配信の新曲「Last Serenade」が突き出される。作詞作曲は「roomdiners」だって。まったくもう。
来月にはラストアルバム「Ciao!」だって。チャオって、鈴木慶一氏がブログでシメによく書いてた。さよならでもあり、こんにちはでもある。
いやこれマジだけど、いきなし過ぎる。LP にだけタイトル曲入れるだって?ライヴも名古屋飛ばし当然のごとくで、ああ行けない。銭が無い。スカンピン。
いきなし、ありがとうなんて散りばめられて、満月の夜にと綴られて。
三行半だな。
解散じゃなくて無期限活動休止って言葉ではある。
終了ではない。

http://natalie.mu/music/news/59459

木曜日, 11月 10, 2011

陸地の先っちょでテザリング機かまえた者は、アプリ立ち上げっぱなしで、ヘルパーの風へ。

「そんなに繋いで何するの?」と囁かれたら検討ひとり会は解散。全速力で。

 港に作られた箱のまたその中の箱で更に掌に収まる箱をいじっている数日仕事。
塩の味なんてしない弁当と、しょっぱい話。売り手だらけの祭り。JAXAの職員さんの目が輝いている。第一段階の箱自体、老朽化が進んでいて、煤けた風合いがたまらない。

あのときコンビニを経営し始めていたら、いま自分に肉まんを売っていたわけだ。

水曜日, 11月 09, 2011

WiMAX リフレクターアンテナ作戦

UQ WiMAX にダイソー製ステンレスボウルリフレクターアンテナ作戦はなかなか良い。
しかしピンクのプラ箱(自分のは so-net のモモピンクモデル)を発光させながら、ステンレスボウルを窓に向けて掲げている図はかなりキテる。

http://ceron.jp/url/blog.mine-studio.com/2011/03/wimax-wm3500r-reflector/

火曜日, 11月 08, 2011

名古屋ことば自販機 改善もとい向上案

自販機で水を買ったら「名古屋ことば」とやらが自販機から音声再生されて、イラッときた。 その内容があまりにも説明的でかつ、自販機に何も関係が無い雑学でしかない。
 「名古屋ことばで、ダメになることを "わや" というんだよ〜」 みたいな。
子ども向けの内容で、いちいち耳を傾けてられない。

 買った商品についてを名古屋ことばで叫んでくれるほうがいい。
 「ボルビックだぎゃ!暑くて ちんちんやで気をつけんなさいよ!」。

http://wn.com/名古屋ことば自販機

月曜日, 11月 07, 2011

6年目の iMac

Mac OSX 10.3 時代の iMac に OSX10.6 Snow Leopard を突っ込んでみていた。家の中で、無線LAN で共有して、iTunes とか iPad から操作して幸せになりたかったのだ。
その目的は達成されていたのだが・・。
我慢できぬレベルで重くなってしまった。iMac が遅く、ぐるぐるレインボーが表示されて待たされる。時々だった フリーズも、しょっちゅうになってきた。
導入時に iTunes のデータを消すなんていう大失態も犯しているし、そしてこの使えない状況に陥ってしまい、正直なところ、失敗を認めざるをえない!
素直に OSX10.5 くらいで止めておけば良かったのだ。
なんて懺悔をしつつ、OSX 10.3 へ戻す。
もうどのバージョンを使っているのかよく分からなくなってきた。仕事では 10.5。個人用には 10.7。そして共用の iMac が10.3に。いやいくらなんでも 10.5 くらいは良いのではないかと、ファイル共有もしやすいですしゴニョゴニョ。
現行に追いつかないのはともかく、6年くらい前の機が、正常に動いてくれているだけ有り難いのではある。

日曜日, 11月 06, 2011

線の跡

文化フォーラム春日井でブックリサイクル市をやっているというのをツィートで知って、行きたかったなぁ〜と悔やみツィートで返して、GALLERY GOHON に着く。
早くも 企画展「線跡 senseki」最終日。

文谷さんの作品はうねりを見せていた。
永田さんと茶谷さんが記帳のあるカウンターで話をしていた。
スライドプロジェクターの音は変わらない。
替えの電球は使わなかった。
スライドをしまいこむのは一瞬だ。
光は消えても、また浮かびあがってくるような気になる。

打ち上げしましょうよ〜と騒いでいた自分だけ。


土曜日, 11月 05, 2011

可能性だから広大

線跡での村田出品作は「線跡のために」という題。
もし「線」という展覧会タイトルだったら違ってた。
「線のために」だとしたら、それはそれは広大な!!

来年一月に参加予定の「緘黙する景色」のフリーペーパー、伊藤正人(企画者)氏 × 村田仁の号が出ている。既に。
これは広大・・になるかどうかの可能性だから広大!

http://beyondwords2012.blogspot.com/p/blog-page_275.html

金曜日, 11月 04, 2011

とっておけること - クラウドから

クラウド型ってのは、その都度アクセスしに行ってるわけだから、なんだかその都度 思い出してるようでもある。急ぎの用件には向いてない。机の上に全部出しておいたほうが仕事はしやすい。 

確か、書いておけることは覚えておく必要は無いと、アインシュタインは言った。
簡単な計算式を学生に指摘されたときに、そこへはメモがあるから思考を使わなくていいと答えた話だとか。

 iPod に入れていない歌がいちばんいま聴きたい歌で、でもそれはそれで頭の中で鳴っているんだから満ち足りているんだろう。

いま聴こえる歌があるなら、iPod に入れておかなくていいと村田は言った。
iPod にその歌が入っているから、てめえは歌わなくていいと村田は言った。

木曜日, 11月 03, 2011

i/o オープンスタジオに吹く先輩風、ああ 先輩、風邪ですか。

アーティスト・ラン・スペース「i/o」のオープンスタジオへ遊びに行った。ちょうど、横浜 BankART での企画展参加を終えたメンバーの作品には、充実感というか、活気があった。変に思い詰めていないところが良いのではないか。なんて失礼な上から先輩風目線だではあるが。ようは、暗さや重苦しさを根拠や売りにしていないのが良いのだ。そんなもん、どうしようもなくていつも滲み出てしまうものだと思うから。変に若さと重苦しさや、理屈を引きずっていなくて良いのではないか。いや、そんなこと話されてもメンバーは何も嬉しくなかったりするものだろう。缶ビールを飲んでいた。終電まで。

水曜日, 11月 02, 2011

Amazon づいてきやがって

Amazon の箱の側面が、ニンマリした口に見える。
調子にのってクリックするときのニンマリ感を現しているのだ。
そして妙に空間に余裕のある梱包。過剰とは思わないが、どこか真空パックのような印象だ。もにゃハウススタジオの物置部分にニンマリを積み上げてみる。中身は、細々した紙切れだらけ。

火曜日, 11月 01, 2011

子どもらを活かせる場で

福岡氏らが活動している、名古屋市 名東区 西山商店街でのアートプロジェクト「collect」の会場へ遊びに行って来た。
商店街のアーケード店舗への壁画や、シャッター絵、編み物と構成した展示などが行われていたが、驚いたのは小学生たちが めちゃくちゃ福岡氏らになついていて、遊ぼー遊ぼーというか、常に遊んでいるということだった。
理屈をこねているよりも、場が動いているかどうかだったんだ。

http://www.nishiyama-shotengai.net/


月曜日, 10月 31, 2011

もにゃハウス号 新規購入

二人で自転車一台なのは限界だーっ!と、困ったところで解決の勢いに任せてホームセンターにて、新品の自転車を購入。
昔、母親用の軽自動車が納車されるとき、安全なように目立つ黄色にしたと話されたことを思い出して、オレンジ色のママチャリを選択。ダイナモなんて無い、LED の蓄電型だぜ。
機動力アップじゃーっ!と爆走。粗大ゴミは運べないけどね。

日曜日, 10月 30, 2011

何も無駄じゃない!

着々と遂行される美術系大学での「骨抜き」へ疑問を呈すやり取りをしていた。
結局、ノスタルジーの昔は良かった話へ流れて腐ってしまわぬように。
祭りなんて浪費で、無駄と言われてしまったところへ「何も無駄じゃない!」と声を荒げてしまったのはちょっと恥ずかしかったかな。
一見、無駄そうなことがそうではなくて生き生きといろんな事象を立たせてくれることに繋がるのを可視化したい。

土曜日, 10月 29, 2011

線跡のために

名古屋市の本郷にある、アーティストらの自主運営ギャラリー「GALLERY GOHON」での企画展に出品参加する。
企画者は、絵描きの茶谷麻里さん GOHON のメンバーだ。出品者は、外部の作家が二名、文谷由佳里さんと、私、村田。そして GOHON メンバーから、永田浩子さん。文谷さんと永田さんはギャラリーの一階で、向かい合うかたちで展示され、自分は二階の一室に入った。
展覧会名は「線跡 senseki」。茶谷さんによる造語である。
文谷さんは開廊する連日、壁面に広く貼った紙へ、大きくペンで絵を描いていく。線は広がる。自分でも思っても見ない描き方やその重なりに出会いたがっているような感触がした。
永田さんはキャンバス上に囁かに筆を重ねた画面。爽やかなブルーやグリーン。画面に少し開けたキャンバス地と、筆は細いものか、太いものをゆっくり付けて細く当てているのか。
階段を上ると、部屋は真っ暗である。小さなスピーカーから男の声。聴こえにくいのは、声量だけではなく、ずっと動いているスライプロジェクターのファン音のせいだ。
スライドプロジェクターは時折、光を出す。光は壁に貼られた紙と同じ大きさの四角形をしている。四角形のなかに手書き文字が一行、白抜きで見える。読んだらすぐ、ガチャとスライドが回転する。また異なる行。次は暗転。そしてまた別の行が。紙は木炭紙である。木炭による文字は、かき消されていて、とても読めない。白抜きの、すなわち光の行は、その紙のなかにあった行。
タイトルは「線跡のために」という。村田の作品。
アーティストトークとオープニングパーティーのある今夜は、その前に少しだけの時間、展示室で木炭紙に向かった。
GOHON メンバーの方々がその模様をビデオ撮影してくれた。

http://gallerygohon.jp/f3-exhibition-vol.20.html
http://jinmurata.jpn.org/301/101/sensekinotameni.html

金曜日, 10月 28, 2011

呼ばれる祭ではもうなくて

すき家店内で突然 有線の曲が途切れて、「防犯カメラで見ています!」と放送が入ったので驚いた。 そういえば、すき家への強盗が多いので、抜き打ち防犯テストを受けたとかヤフーに載っていた。

 まだ夜八時というのに、名古屋芸大の芸祭から帰る。 「帰れ」と言われて素直に帰る寂しさだけ募る。 何かをするにも、レスはない状況だから、何もできない。悪循環である。オンラインだけが賑やかになっていく。 昨年の OB勢が路上でギターをかき鳴らし、周囲が面倒な目で見ている図が、また悲しい気を増長させた。
「ここは楽しい!何かが何でもできる!」と呼ばれる祭ではもうなくて。

木曜日, 10月 27, 2011

「書く」と「描く」は異なり、「読む」と「見る」も異なる。

木炭紙を壁に貼る。
もにゃハウススタジオ にて、初めての作品制作。
書いて、撮って、書いて、また撮って。

水曜日, 10月 26, 2011

前のめり本棚の終焉

やはり、一昨日の「前のめり本棚」は徐々に本が前へスライドしていく。
何故に?と話すと、そもそも用いている金具が違ったようだ。
すぐに小型の L字金具に取り替えられ、前のめりは終わった。
自分は、久々に車を運転して、ホームセンターから木材を運んだということだけで満足していた。

火曜日, 10月 25, 2011

牛鍋丼並に新おっかけ とろりチーズ リピート

またガンダムのエスカップを買ってしまった。今日はブライト。飲まないんだけど。

月曜日, 10月 24, 2011

前のめり本棚の登場

掛け軸か仏壇を入れていたであろう空間にはめ込むかたちで作るぞーっ!と小生、意気込んで DIY けっぱりました。何年ぶりかの運転。ホームセンターからもにゃハウスへ。

生まれ出るは新しき本棚。
翌朝には本が前のめりになって一同おじぎをしている「前のめり本棚」。


 

日曜日, 10月 23, 2011

ダニ・カラヴァン

風をふくんだカーテンをバスに入れ、四人の約束は手を渡る。
紙のこと。

「室生山上公園芸術の森」は素晴らしかった。
ダニ・カラヴァンの仕事に立ち、二人で黙る。

土曜日, 10月 22, 2011

画面に何も期待しちゃいけない

" mixiで足あとを気にして
ニコニコで再生数を気にして
Twitterでフォロー数を気にする
日本人らしいね。
能天気に生きよう!"

というマーキーのツィートをお気に入りに。
SNS で泣きわめく者の間を、颯爽と言い放ち、見返り美人よろしくあれは誰?とさせるのはカックイー。

金曜日, 10月 21, 2011

「緘黙」と言って黙る

「緘黙」と「沈黙」は異なるという話をアーティストランスペースのスタジオ「 i/o」で少しした。
来年年明けに伊藤正人氏が企画して、参加する展覧会の題名が「緘黙する景色」だから、その「緘黙」とは何かと。缶ビールとともに話した。
ブログではリンクを参照し、会話ではチラシを参照する。自分がどう考えているかを参照後に話す。参照をとっぱらって鑑賞者は作品に出会うことがしばしば。それくらいでちょうどいいとも思う。

http://beyondwords2012.blogspot.com/

木曜日, 10月 20, 2011

理由なくスライドを進ませろ

雨が降ってきた。ビニル袋をもらっておいて良かった。
ご飯を食べる前におしぼりを横にスタンバイさせておくようなことである。
Powerpoint の操作より、ケーブルの付け外しのほうがたいへん。おしぼりを置いておこうにもケーブルはどれも黒色だった。
わざとらしく意義があると語られれば、スライドも次へ進みやすい。
何もないんですと言われたほうが、きっともっと面倒な話に入っていくことができる。そこで溜め息から深呼吸、笑みをつくるまでの間に一枚スライドを。

水曜日, 10月 19, 2011

初期のもにゃハウスでの日々

昼間のラジオ。
レストランのお食事券をプレゼントが、汚職事件をプレゼントに聞こえた。
でも何も言わずに作業を続けた。

先日、Amazon で注文していたサーキュレーターが届いていて、早速 風呂あがりに換気に回している。湯けむりがひいていくのを見つめること数秒。

自分は十年ぶりくらいに引っ越しをして、前のところから近いながらもはじめての町に住みはじめた。猫の鬱が嬉しそう。アパートから一軒家になったから。家の名前は「もにゃハウス」。いままで自分の webサイトの名前をアパートの部屋番号をあてて「画室301」とかしてたけど、どうしよう。もうそんなの誰も認識してない呼び名だけど。ああ「もにゃハウス」だって。

火曜日, 10月 18, 2011

守る世界のために必要な「懐かしい」という感覚

バンコクのウー君こと、Satit氏 が Facebookに 20世紀少年のボブ・レノン動画をあげていた。
タイ語でコミックも出ていたし、世界の危機と戦うストーリーは盛り上がるはず。タイも中盤で出て来てた。
日本の 70年代 原風景は漫画で世界中の「懐かしい」になってく。
ボブ・レノンをみんな聴いて、それがオリジナルになる。
古き良きアメリカンテイストを映画で追うように。

月曜日, 10月 17, 2011

同期で消えるもの

風邪の流行るなか、iCloud の使いにくさについてゴホゴホと語る。
フォトストリームは写真を一枚ずつ削除できないという酷い仕様なので、電車のなかでダウンロードしたグラビヤアイドルの写真が Mac のなかに音も無く佇んでいた。
自動同期のはじまりと同時に、同期しなくていいものもはじまる。

メモは忘備録としては良いが、更新したときに前を見返すことが難しい気がして、たくさん同期する羽目になっていく。
風邪→薬→スギ薬局のポイントカード→家族のカードで交換→加湿機→加湿機の洗浄。
あるとき思って、メモを見返しても分からない。
何曜日がポイント5倍デーだったっけ?

日曜日, 10月 16, 2011

田舎とアートは矮小な話にされて

「アート亀山2011」を周遊しながら自分の仕事についてを話す機会を頂く。

夜は昼にカレーの出店をされていた、おおもとのレストランで倉岡先生と食す。
先生は絵と鏡を用いた展示をされていた。路上でモデルになっていた女性の方と、記者の方と、自分とで入れ替わり鏡の前に立って、もっとここがああだったらね、文化祭の延長しか・・と話されていた。
帰りの電車の時間まで、亀山にレジテンスをしているアーティスト勢と話す。関東から来ている方が多く、亀山での過ごし方を指南したミニコミ新聞を見せてもらう。コンビニや ATMの位置、食料品スーパーの見切り品のセール時間が書いてあるのを見て、郊外でのサバイバル術かよ!と突っ込む。役には立つだろうけどねぇと苦笑してしまった。いや、暮らすということは現実的に動ける地図も要るのだ。でもリサーチをスキップするだけではなく、あなたしか見つけられなかったものを読みたいのだ。

土曜日, 10月 15, 2011

都市とアートは広大な話

「シンポジウム・シズオカ的・ブレーメン的」を聴講しに、静岡市立美術館へ真坂氏と行く。ちょうど三月に企画されていた「静岡・ブレーメン国際交流プロジェクト DECWAS」の関連企画で行われる予定だったシンポジウムだ。震災があって、ドイツからアーティストらが来日することが難しくなり、展覧会自体の内容を変更せざるを得なかったもの。シンポジウムは中止になっていた。
そのときのことを振り返るだけでなく、これからのこと、都市とアートのことなど、語ろうとしていることは果てしなく広大に設定されていた。
ブレーメンより来ている竹岡先生と再会した。2004-5年の「ブレーメン・ナゴヤ アートプロジェクト site scenes」のとき以来。懇親会の席で近作の資料などを話す。
周囲で震災へ何かをしたいと考える日本人アーティストの話。究極のところ、外へ何かをしようとするきっかけは何だっていいのだから・・なんて、話す。賛辞も批判も動機自体には何も無い。この仕事を広大だと捉えるのは勝手だが、結局は目の前の道具を触らないと起動しない。
帰りの車中では仕事の話をしていた。
スマートフォン、いやデバイス二台が暗闇に灯っていた。

金曜日, 10月 14, 2011

4S 前夜〜ケータイ装備のチェンジング・iPhone またね!

悩み倒して iPhone4S には行かず、三年目の iPhone3G を解約す。ええい!店員さんに止められても振り切る!どーしても 4S を惚れられない。
ヤフオクで落とした五百円の中古ガラケー 705SH 茶色に SIM を変える。もう二度とパケット代金は払わん!と宣言。UQ Wi-MAX 契約しておいたので、これで出先も家もネットするというところだが、iOS5 並びに iCroud 恩恵受けたいので、iPod touch の白を購入。touch をとことん iPhone 化させるというテの裏技オタクみたいなところへ着陸。装備のチェンジングだ。モバイルバッテリーはとっくの前に三代目のモデルにした。もう少し待ってエネループの新しいのを待つべきだったか。とうとう携帯二台持ちみたいなことになった。いや、電話は変わらない。iPhone 用のメールアドレスが消えて、身軽にはなった。いまや Gmail で事足りる。6年前のガラケーなのに新鮮だ。パーツのひとつひとつを並べていたことのある機種であり、思い出もある。
iOS5 はどんなものか。公式 Twitter アプリでなく、使い慣れた Fastweet というアプリを入れる。更に速い。さあこれで何をしようかだ。3年前の iPhone3G 購入時にも同じ事を言っていただろう。

アップルストアの前に寝袋やキャンプ椅子装備で並んでる人達が居た。献花があり、行列があり、賑やかだった。
警備員が列に付いていた。見張りつづける徹夜仕事が最もたいへんに思える。
翌朝、並んでいた人々が買って帰るとき、他の携帯電話店で予約していた iPhone4S が 警備員の家に届いていたりして。

木曜日, 10月 13, 2011

ジャックで二人

THE BEATNIKS 新譜 聴く。ジャック、と呼びかけではじまる。憂鬱が明るい。最終出口の連呼まで。
また一曲自体は短かく凝縮されている。
このアルバムにしてビートニクへの反応、無邪気にあからさま。思い出したようにカットアップ。

水曜日, 10月 12, 2011

そして手紙は送られたか

昨日で震災から7ヶ月。
弟と祖母の誕生日は7日前。
メールも何も送らなかった。
手紙と称して展覧会の案内を送ることにする。
一度も見に来たことはないけど、そんなものかしら。
僕も弟の仕事へ押しかけたことはない。

火曜日, 10月 11, 2011

何やってんの?

「何やってんの?」が流れる店内。
帰ってからも「何やってんの?」。越して来てから一ヶ月。何かできてるか。このままだ。常に見惑う。

月曜日, 10月 10, 2011

大変だった ア"ーッ!ラジオ 2011

アジアなラジオカフェでのコーヒー、U崎先生とくつろいだ。本棒氏の即興アコギライヴも楽しむ。
あらゆる側面から大変だった「ア"ーッ!ラジオ2011」。初日の今日は放送事故も起こったが、Ustream でも聴かれて、広くアッピールされていくようだった。前述のカフェからも放送を成功していた。
FM 電波は相変わらず、飛ばすのが難しい。もっと電波に精通した方の助言が要るだろう。電波系の顔ぶれだけどさ・・。

日曜日, 10月 09, 2011

ちょっくら回顧モード

アートプロジェクトのタイトル決めようとなって、長い会議してる場合はうまくいかない。
今日、数多あった過去のアートプロジェクトのチラシ類を整理してて思った。
噂に聞いた「ハレンチ四万十」というタイトルはきっと、一瞬で決まってるんじゃないか?
詳細知らないうちから、名は体を現す的なフィット感があるから。

手前味噌ながら「ア"ーッ!ラジオ」は早く決まった覚えがある。「アートラジオ」じゃ、当たり前だから アーット!ラジオ
……ア"ーッ!に。
叫んでたり、ぼやいてたりでもアーッは良い。初回時のサウンドロゴには色っぽい アァ"~ッ!ラジオもあった。誕生日パーティの席で録音した覚えがある。あと某男子にガッツリ大声で歌ってもらった アアアーッ!ラジオーってのもあった。ぼそぼそ言ってたのは自分。英語表記は「a"aarts!radio」に決めた。もともとは某るみねぇらが企画していた展覧会「pollen」内での一日限定ラジオというかスピーカーから出してたショーがはじまりで、その後も放送局ものをちょこちょこやってた。芸祭で、昭和慢画ラジオもしてたし。もっと前には 林緑子さん企画の MHK もあった。ブルマヨで出させてもらった。あの MHK は、名芸の A&D センター全館での企画放送局だったはず。1999年だと思う。小松氏も、僕もそれぞれ詩を読み、時間いっぱい言いたいことを話した。あのあたりに、調子にのってブルマヨのホームページに小松氏との対談映像を載せた。50MB くらいしてたん。見るには長時間ダウンロードに待たなければいけない代物だったが、見てくれた方がいて「たいへんだけどネットの可能性を感じました!」と感想をもらった。僕らの対談そのものへの感想では無く、寂しく感じてそれっきりだったけど、重要な感想だったのだろう。以後、いろんな人と対談する企画ページもやっている。
過去話ばかりになってあれだけど、意識してたのは他者であり、同時に自己だった。いまだったら、Ust しまくってるだろう。
なんて思い出しながらサイト覗いたら、リンクが壊れていたので修復する。

土曜日, 10月 08, 2011

ラジオと言えば ア"ーッ!ラジオ

今年はサポートという立場ながらの「ア"ーッ!ラジオ」連動。Twitter で日程などが飛び交う。しかし未確定事項多く、逆に混乱を招くよーな流れも起こる。最後はオフィシャルサイトへ流れていくのだが、そこで興味を持っている人をガッチリ掴めるかだ。
今回もまた、大学内の FM 電波だけでなく、Ustream でも放送する。オフィシャルサイトのトップにそのウインドウを組み込む。
早いもので「ア"ーッ!ラジオ」4年目かっ!?

金曜日, 10月 07, 2011

あらゆる伝説がリレーションしている

Twiiter を筆頭に、ありとあらゆる SNS でジョブス氏の訃報が回っていく。
あまりにも出来過ぎたタイミングで、ドラマチックなこの流れに、4S は for Steve の略じゃないかと言われ出している。いや、彼は 5 を見たかったのではと別の方向から聞く。

ゲームセンターあらしの漫画家 すがやみつる氏による「アップルストーリー」(1984)が紹介されているのを Tumblr で見つけた。少年向けにこんな漫画がつくられるということは、当時の小学館の編集者のなかにアップル信者が居たということだ。ジャンプもそうではなかったか。堀井雄二らはそこで動いていたはず。
あらゆる伝説がリレーションしている。
たとえ SNS があってもなくても、惹かれ合う者はいると思う。
SNS では、その速度が上がっていくのか。離れるのへも?

木曜日, 10月 06, 2011

どんな言葉が正しいのかは誰にも分からない

10月6日 名古屋駅のハローワークへ引越しの手続きに行く間、手もとの Twitterに、スティーブ・ジョブズの訃報が入って来た。

Twitterは 訃報と相性が良い。
遠く離れた人々が TL上で 驚き、嘆き、悲しみを分かち合う。
ある者は お悔やみを申し上げ、またある者は思い出動画を紐解く。
悲しみには差があるから、誰かの冷めた言葉に辟易することもある。
しかし、どんな言葉が正しいのかは誰にも分からない。
ただ、消えない言葉がTLに浮遊して行く。
亡くなった者だけがそれを読むことはできず、その者が語られる。

ハローワークから出勤する途中、九時四十分くらいに、アップルストア栄の前へ行ってみた。
開店は十時からなので、まだ自動ドアは閉まっていたが、Macたちの画面は点いていた。

昼休み、職場の方に アップルストアみてきたら と気遣ってもらい、行く。自分がオタクだということをカミングアウトした以上、動きは機敏になる。なんて大げさで、前から明らかだったけど。とにかくアップルストア栄へまた行った。ちょうどアメリカのアップルストアの窓に Thank you Steave とリップで書かれた献花の写真がツイートされていた。十二時半頃、花は無い。店に入る。青地に白のアップルマークの男性スタッフが話しかけて来た。「何かお探しで?」急なことで、咄嗟に 白の iPod touch 出てますか?と聞いた。「まだ、来ていなくて、12日以降なんですよ」と返してくれる。スタッフの目が潤んでいた。

御礼を言って 黒の touch を触る。今度は女性スタッフが話しかけて来た。touch でも日本語フリック入力できるか尋ねる。以前に touch はキーボード入力しかできないような印象を持っていたのだ。できますよと教えてくれて、実際にメモアプリを立ち上げてフリック入力を出してくれた。「白、楽しみですよね」女性スタッフの目が潤んでいた。

夕方、アップルストア栄の前に献花があったというツイートを見た。

水曜日, 10月 05, 2011

Yes. Japanese handy phone companies so big changing by United states one company.

5ならず!4Sと来た。昨晩のガクーッ!をまともに受けて、日中ああでもないこうでもないと考え続ける。その考える喜びが昨夜はもたらされたわけである。
siri の自由も、iCloud と iTunes Match も、存分に機能することは日本では当分ないだろう。携帯電話会社がソフトバンク独占から、au も参入するという、ユーザーにとっては面白くなる可能性を持ちはじめた喜びである。
昨晩のアップルは生放送をしなかったため、現地の取材記者からアップされる写真と英文テキストを翻訳していくサイトを追って見届けた。
翻訳にワンテンポ遅れて理解するように、日本の我々はハードとソフトを遅れて使いはじめるのだった。
携帯電話会社の問題は、日本は決して不幸な状況ではないと聞く。そう言われても不自由に感じ続けている。4Sにすればいいっていう解放感はあまり無い。

火曜日, 10月 04, 2011

吉増剛造トーク

月曜の晩。千種正文館で 吉増剛造 トーク。「キセキ」を見ながら 芭蕉について。
決して留まらず、動き続けていた。
OHPの芭蕉に、ゴッホに、眼を透かして歩いていた。

我々は、線路を渡ったところにあるピビンバの店で食す。
吉増剛造は、肉食であろう!

月曜日, 10月 03, 2011

天井に最も近い鬱

とても甘いケーキをお土産に。
本をどこに並べるかと考え出して日が過ぎる。

日曜日, 10月 02, 2011

友部正人の持っていない CD のタイトルをこのころいつも思い出し

一時的な圧縮は過去のもの。
広がる光の受け皿のごとし、畳と壁は、そのまま時間への希望であった。
そこに解凍を巻いていくことで、生活ははじまるらしい。
すぐにまた暑くなる。

土曜日, 10月 01, 2011

ドント・クライ・スカイ

画家 横井彰氏の個展、ギャラリーAPA で見た。人の顔だけを熱く描いている。絵を描くのは孤独なことだけど、肖像画なら誰かとずっと居ることができるという意の言葉に頷く。
暑苦しくはない。
昨晩、炭酸のなかでなかで見た のっちがラブラドールレトリーバー犬を引き取ってもらいながらエンディングテロップのシーンは、悲しかった。爽やかに演出してあったぶんだけ、酷くて悲しかった。
朝には、ドント・クライ・スカイ。

金曜日, 9月 30, 2011

ゆたか荘 サラバ!

「お前にひとつ言い忘れたことがあったわ。」
「陽に当たれよ!」

木曜日, 9月 29, 2011

お釈迦様の掌の中

夜、友人らに荷運びを手伝ってもらう。
いつの間にこんなことをしていたのか。
我ながら、驚かせようとしてるみたいだった。
荷物が減る毎に自分の焦りも退いていく。

最近飼いはじめたという猫を見せてもらう。黒い子猫で、雄か雌かも分からない。明日、獣医さんに連れて行くって。マーキーの掌にすっかり収まって佇んでいた。
仏様の手の中に収まっていたようなビジュアル。
自分は引っ越してもお釈迦様の掌の中かな。それでどこまで楽しくなれるか かな。

水曜日, 9月 28, 2011

段ボールのおかげ

夕方の帰りには駅デパートのパレマルシェで おつとめ品のお弁当などを求め、同時にお客様用段ボールを三、四箱ずつ貰っていくのがこの頃の日課だ。
段ボールを持っていないと不安にすらなる。お弁当を入れるのもちょうどいい。
食べてから重い腰を上げて、本棚から本を取り出して行く。
段ボールの底が抜けぬように 詰めきらない程度でストップをかけるので、すぐに持って来た分はいっぱいになる。ガムテープでとめて、マジックで「本」と五つの面に書く。それの繰り返しだ。
要らない本は要らない本で分けようとしていたが、高度な判別をし出すとえらく時間がかかってしまうし、後で後悔しそうなので軽い判別に留めて梱包に専念する。

そう、今月いっぱいでこの部屋を出ることにした。

火曜日, 9月 27, 2011

栗の入った茶碗蒸しと、犬の毛

スーツのまま御飯を食べて、記念写真を撮った。
家族はいつでも会えると思うもの。
難解な本を読む為に、静かな時間も要ると思えるようになった。

月曜日, 9月 26, 2011

人数が多いと感情移入できる幅も増えるという公式

もうみんな AKB48 には食傷気味やわ。
とか言いつつコンビニ雑誌の表紙に目が引かれる。見知った子が元気かなと顔を見たくなる感じに近いかもしれない。などと 危険なアイドルオタク発言だが元来「会いに行けるアイドル」だったはずだから、親近感が持たれる存在なのだ。そもそもスキルではなくキャラなのだ。
いや、キャラというスキルだというツッコミこそあれ。
彼女達の決め顔はパターン化されていて、プリクラで可愛く見える角度の研究結果と同じに思えてしまう。いや、そのなかでも様々なトライはある。何かに努力している姿を投影させるというショーのシステムには、どんな子にも感情移入できよう。
そのシステムに対しグッドデザイン賞も取っていた。

http://www.g-mark.org/award/detail.html?id=37071

日曜日, 9月 25, 2011

福ちゃんナイトの前後

昨夜は福岡氏が DJ を回す 福ちゃんナイトが名古屋市内のクラブであり、氏の誕生日だった。プレゼントにと包んだ「ハムサラダくん」(著, 吉田忠/2007)の上下巻は鞄に入れたまま忘れていた。その前に萬さんが出品していた展覧会のオープニングがエビスアートラボであって、そこから皆で流れてきたのでやや遅くなってしまった。

引き止められながらもなんとか帰り、そんな経緯で朝になって、部屋は変わらずひっくり返ったままだった。iCal の内容が縦書き表示がされるアプリを見つけて購入した。
萬さんの絵は細やかで、器用ではない繊細さがあって良かった。

土曜日, 9月 24, 2011

土曜作家

外で遊ぶ子らが英語で どぅーゆーらいく? あいらいく!と声を出している。
最高の天候に安らぐ自分。再度買い出しへ。

来月に出品する企画展「線跡 senseki」のチラシを頂いた。永田浩子さん、文谷有佳里さんらの作品と共にギャラリー GOHON で行う。
企画者の茶谷麻里さんが書かれた、展覧会紹介文にある「作家として作品をつくる事に於いて必ず一度は『線』というものについて考え立ち止まる時があります。」がいい。
絵描き限定ではなく、作家。
ものの作り手ならば。

http://www.gallerygohon.jp/f3-exhibition-vol.20.html

金曜日, 9月 23, 2011

張り替えを見届けた帰り道

自転車屋のあるビル屋上に取り付けられた、そこそこ大きな看板が雨でふやけて、晴れて乾いて ごわごわになっている。
あれは貼り替えになるのだろうな。

夜、下弦の月。
テント商会の倉庫、閉まっている。
社長はあと一時間で起きる。
それまでに自分は歯を磨いて布団に入り、とっくに寝ていましたという演出をしなければいけない。
カーペットの部屋で何かが持って行かれ、無かったことにされた。
名刺だけが貯まり、誰も相手の話はしない。銭湯が背中を洗ってる。
若宮通り、三つずつ光球あり。
「にて」を用いて書き言葉。話を続けて。
とうきやのカーテン。丸ポスト。
赤い光。
旧道の名残り。
ずっと明るい。喫茶コマツヤ。一度も無い。新聞屋さんの挨拶。駐車場 防犯ライト。赤い。
不二家、白い光。とびたしちゅうい。
プラモ屋、かつてあった寿司屋。かんぴょう巻きだけ買って、土嚢を積みに行った。
報告をしに、展覧会を。
オリオン。
空車。
800円。
赤字。
蛍光灯。
踊り場に照明があった。
台所で皿を洗う音がする。

帰ったら、昨日も会った彼から封書が届いていた。わざわざ偉いのである。綺麗な粘着糊で封をされていた。

木曜日, 9月 22, 2011

面倒なことを吹き飛ばす男が要るね。

連日、上小田井駅。またあのホーム。コンクリートが踏み固められているよう。変色してる。いろいろ携帯の話に動きがあって楽しい。こういうのは騒ぐこと自体が楽しい。

au で iPhone5 出るとしても、au 専用機とかじゃなく、SIM 移し変えればキャリア変えれるようになったらいいのに。
電波方式違うから無理か。アメリカでもキャリア別に iPhone4 出してたしな。
でも iPhone の機械自体にはキャリア選べる機能あるもんなぁ。
こういう、出来るんだけど大人の事情で機能制限ってのはよく起こっている。
面倒なことを吹き飛ばす男が要るね。

水曜日, 9月 21, 2011

甘い一過

昨日 歩いた線路沿いを一瞬で走り去る電動車両。

甘い歌と甘いコンビニ。
大きな冷凍庫をくぐり抜けて、タクシーに乗れば。荷物が濡れないように。
勇んで向かったら、もう空は晴れていた。

火曜日, 9月 20, 2011

自然は残酷だ

不意打ちのごとく名古屋に台風の土砂降りが直撃。避難勧告が出て、名古屋市のホームページにアクセス殺到でサーバーダウンして更に民衆の怒りは爆発。春日井のほうは酷いと報道を片目に早引けする。地下鉄鶴舞線から名鉄犬山線へ乗り継ぐ上小田井駅で、名鉄が止まってしまっているという状態で、ホームに人がこぼれ落ちそうなくらいに溢れていた。ある瞬間に、これは歩いて帰ったほうが得策だなと思い、人ごみに押しつぶされながら改札へと降りる階段へ。改札がパニック状態で、駅員さんが大荒わ。ソフトバンクの携帯は完全に繋がらなくなっていた。かろうじての番号メールが桑さんから来る。西春駅までなんとか歩く。川がかなり増水していた。写メを撮ってる場合じゃないとか言いながらも、かなりの人数が一斉に携帯を出していたので便乗する。一枚で良いと宣言し、帰路を急ぐ。くるぶしまで水は来た。まだなんとかなるだろう。ようやく西春駅に着いた。喫茶店でも行ってだべりたいねーと以前に交わしていたことを実行できるくらいの早い時間だけど、さすがに全身びしょ濡れなのでこのままでは風邪をひいてしまう。よって解散。彼女は駅に停めてある自転車に乗っていった。自分はアパートに着き、玄関周りの水はけをして、シャワーを浴びた。そうやって一息ついたころ、雨は止んでいた。

月曜日, 9月 19, 2011

雨だらいくらいに日本酒を

昨日の席に参加できなかったからとノリ氏が日本酒一升瓶抱えてやってきた。ぐっちゃぐちゃの部屋んなかで飲む。猫の鬱が大興奮。それもそうだ。外は本当に雨だらいをひっくり返したような豪雨だった。

日曜日, 9月 18, 2011

まったりBBQ

ハイパースローライフハウスにてバーベキュー。今朝まで「BBQ」の三文字メールが行き交っていた。みんなワクワクしながら炎天下のなかで肉を焼く。缶ビールで乾杯すると、まるで TV-CM のようだった。
みんなそれぞれ仕事を抱えている状態だったけど、たまにはこんなに解放されるときもないと狂っちゃうという気持ちになった。ありがとう。ユーシ氏!もといユーし君とともちゃん。


土曜日, 9月 17, 2011

最果て

なにがなんでも城北線で行くと決めたのは、街中の最果てに行きたかったから。
I' m 派遣で詩人。



金曜日, 9月 16, 2011

店を広げて八方美人か、孤島で自分語だけで自分に話しかけるか

名古屋に「AppBank」二号店が出来た日に、シャープの「ガラパゴス」をシャープ自身が売ることを終了するという報道が入る。
「AppBank」とは iOS のアプリ紹介や、iPhone、iPad のケースやグッズを紹介と販売する人気サイトで、店舗もかまえていて、一号店を原宿に開いていた。東京中心で展開していくんだろうなと思ってたら、名古屋パルコに二号店ができた。サイトと連動する「AppBank」という名前のアプリがあるので、それで情報を得て、プレオープンの昨日など冷やかしに行っていた。ケースの品揃えが充実していて、六月にドイツの家電量販店サターンで買うかどうか迷ったサムスナイトのスリーブケースが売っていた。
店員さんに Bluetooth キーボードと自機をペアリングさせてもらって試させてもらう。面白い。でも iPad の画面入力は気に入っているのでいいや。

「ガラパゴス」は完全に終了するわけではなく、ブランド自体は残るのだけど、自社で売るのは終えるというかなりの縮小だ。
買った人は踏んだり蹴ったりだろう。Android が悪いわけじゃなく、ハードでの展開が悪いのではないかと思う。
どうせならガラパゴス OS を作って欲しかった。
ガラパゴスのケースは、もうワゴンセール行きだろうか。
出ている数が少ないから、iPad1 のケース下にまみれていそうだ。

http://www.appbank-store.com/store/campaign/campaign_0915.html

木曜日, 9月 15, 2011

エヴァ今昔

こないだの初めての顔合わせが多かった飲み会では、途中ヱヴァQの予告動画 (金曜ロードショーver,) を iPad で、皆で見ることで心が一つになるという 踏み絵(ちょっと違うか)みたいな手法で盛り上がった。
なんともオタッキーな展開。でもそんななりふり構わず、思い思いに興奮して良いところを騒いでいた。
テレビ放送版を全話 見直したい。iPad に圧縮して全話ぶち込む?
それはかつてマーキー氏がかしてくれた三倍録画で 長いVHS に全話入れてあったのと一緒だ。

水曜日, 9月 14, 2011

段ボールひとつで張り合う

とうとう段ボールの有料版を買ってしまった。
マーキー氏に、たとえいま必要でも 段ボールなんてスーパーで貰ってこればいいと言われていたけど、スーパーで貰い続けるにも限界があった。

猫の鬱は何をしてるんだかと寝てる。知られなくても、良い仕事にしたい。

火曜日, 9月 13, 2011

正夢になるか

ムーンライダーズのファンクラブ会合で詩の朗読をするという夢を見た。
即興で、朗読に何の歌を織り交ぜようと頭を巡らせたら起きた。

自分の前のステージは、タイの友人が段ボールで作った電車の先頭車両の中で寝転びながら音を出すというパフォーマンスで、二階の運転席には韓国人の友人が乗っていた。
何らかのトラブルで彼の音が止まらなくなり、予定の時間を過ぎても前のパフォーマンスが終わらない。その音に被さるかたちで、急遽 僕が詩の朗読で入るという展開だった。先頭車両は、名鉄の特急みたいに二階建て構造になっていて、タイ人の彼は更に段ボールの箱に仰向けになって演奏をしていた。
彼が出している音は一定の音の繰り返しなので、その上に被さって詩を読むには合っていた。
ステージに上がると、箱には外からアクセスが出来ないようになっている のが分かり、ヘッドホンもしているようなので、時間が分からなくなっているのかもしれないと思った。
詩に「恋人が眠った後の歌」(詞, 曽我部恵一/1999)を入れた。

バスタブで待ちぼうけ~と鼻歌を入れると、お客さんから手拍子が起きた。周囲はかなりのうるさ方が多いと思われ、イカシタ即興朗読が望まれている。
やや新しめの選曲が微妙かもしれない。
だが、往年の名曲過ぎるのもベタで安牌だと非難されるだろう。
彼の出す音が、教会の鐘の音に変わった。

月曜日, 9月 12, 2011

11日の報道

そういえば昨日は 9月11日だった。同時多発テロからもう十年。いやアメリカでの11日は、日本では12日だから十年前の朝だ。あらゆる思考の変化をもたらしたのがあの日だと考えられているからか、大震災の 3月11日も、3.11 と呼ばれるようになっていた。自分にはどうもこの日付の呼び方で流行していく感じがしっくりこないが、どちらも 11日というところに意味を重ねて見てしまうのは仕方がないと思う。

十年目に何かをしようとするテロリスト達もいただろう。報道されていないだけで、水面下ではたくさん捕まっているのかもしれない。そして警備の強化や、中東圏への迫害など様々な歓迎されないことは起こっているはず。グラウンドゼロでの式典があったと聞く。
日本では別の陰謀説も多く語られているが、真相は分からない。たけしのテレビで取りあげられるくらいなのは「真相は分からない」という結論で着地してしまえるからだろう。つまりは他所の国、アメリカの出来事を日本で語るからである。
それは福島第一原発の事故について、アメリカの報道が、あれは水素爆発ではないと報道で言うことができるのと同じだ。
自国の報道がリスキーで、そこまで踏み込んでいけない。十年経ち、そうやって守っきたものは、何だったのか。
戦争にまでして、もっとたくさん失っていたのではないか。
そして日本のこれから十年は。

日曜日, 9月 11, 2011

次からはミスタードーナッツにしようと思う

寝ていないと次の日に調子が悪いものだ。
それをつくづく実感した。
勝手なのはいつでも自分だが、見極められない場合にみんなぐちゃぐちゃになって引き渡される。

聞き慣れぬドーナッツ屋チェーン店、米国発のそこはコーヒーがとても薄く、文字通りアメリカンだった。それも思考がまとまらぬ原因だったのかもしれない。
次からはミスタードーナッツにしようと思う。
それでも帰り際には、明日からの平日に繋げているのだから、やっていけるのだと思う。
帰ってすぐに寝た。

土曜日, 9月 10, 2011

あの言葉が出ているときは調子が良いのだ

つまりは「詩」は何であるかという問いと、多くは似ていたし、それで食べている人が皆無なので、単純な経済を作れるかという話も尽きることはない。なんてざっくりと考えているうちはまだ平和だった。
朝まで呑んでいられるうちは。
グラビアアイドルの誰々に似ているなんて騒いでるうちは。

創造する者には根拠が無く、根拠を作る者には飛躍が無い。
おとなしそうに見える者が、いちばん恐ろしい者なのはどこも同じ。

木曜日, 9月 08, 2011

何も格好良く騒がれるものではない

排気ゴミ出しながらエコエコ五月蝿いビデオセミナー。節電を呼びかけるチラシを徹夜で冷房ガンガンかけて Macうならせて作ってる。横目に呆れて見る。
自分の出したゴミもえらく多い。でも地球には無事で居てほしい。つまりは我が儘に筋を通したいとしか考えていないのである。
いろいろ正論ぶってはいるが実のところは我が儘だ。

映画「A」(監督, 森達也/1997)で「欲を捨てると言いながら、ハルマゲドンから信仰で助かろうという考えは欲ではないですか」と質問した学生がいた。あれは相当に鋭くて良かった。それを思い出す。
社長が我に返るとき、何を話していたかを省みるとき、だだ漏れのバルブを締めるかだ。それだけは何も格好良く騒がれるものではない。

水曜日, 9月 07, 2011

谷山浩子ファン続々あらわる

また Twitter で谷山浩子の話を続けてしまった。二十年ほど前に雑誌取材をしたことがあるなんて話が出てくるのでスイッチが入った。そしたらもっと若いフォロワーからも好きだと声が上がる。
「夜のブランコ」(1994)のリンクを貼る際に見つけた「てんぷら★さんらいず」(1982)の歌番組出演時の映像がすごい。歌詞世界に合ってる。

http://www.youtube.com/watch?v=D3BCUjC1WXc&feature=related
http://www.kasi-time.com/item-17392.html

火曜日, 9月 06, 2011

捨て場番号23

資源ゴミ捨て場で ペットボトルに瓶、缶を大量に捨てた。
歩いてすぐのところだけどよく忘れるし、面倒がってすぐに溜まる。
この夏は消費のしかたが異様であった。ようやくラクになりはじめた気がする。台風も去った。
去っていく後ろ髪のごとき風が吹く。積まれたペットボトルは崩れない。青いネットにホールドされている。

月曜日, 9月 05, 2011

女子会は行かない

ハワイアンのちにビアホール。駅前のここはニヒルーな先輩が働いていたという理由だけで選ばれる役得な店だ。落ち着きたいときは奥を選ぶと良いらしい。
人の恋路に突っ込んで話すのが難しいように、ある作家人生へ突っ込むのも困難だ。
ビールにまみれて好きだ嫌いだがあふれ出してくるとしたら、作品は契約のもとあらわれるとは限らない。それは無理矢理つくられているのだ。もしくは失恋を忘れるために、無理に酔っているのだろうか。

日曜日, 9月 04, 2011

「例えば」と「このまま」

それからスーツのアウトレット工場に行って黒いのを買った。
自分のこれまでを映画にすることはない。
土埃の匂いを嗅いで思い出すところは幾つかある。実家の傍にあってよく弟と遊んだ納屋や、bnap のときに動いた味噌蔵。重労働か、知的労働か、口だけでは進めないこともあったと思う。
スーツの回数は少ないほうだろう。

春日井市で行われている 真坂氏と西山氏の二人による企画展「for example」を見に行く。開館前に近くまで来たので、ケンタッキーフライドチキンを食べる。店の外から涎が出てくる匂いで充満していた。
「for example」はモデルハウスで行われるというもので、二人のインスタレーションが居間や台所、風呂場に広がっていた。このまま少し住めたら面白いなと思って、このまま家と作品と一緒にパッケージして売るってのはどう?なんて話す。

「例えば」と「このまま 」、これは高度な言葉遊びだ。
これはシーソー?比べるのではなく、重さに任せて向かうこそライフ?
例えば黒いのを買わずに、裸で試着室から出てきたら誇り高く遊べた?
このままカタギに戻らなかったら、チキンのままかと。
いや舵を切る。
それから二人は ばらばらで、ときに車に乗り合わせる。

http://ryoheimasaka.net/06_fe/index.html
http://outlet-koujyo.jp/

土曜日, 9月 03, 2011

緘黙する景色 introduction あーあーあー

information です。

◆「緘黙する景色」に参加します。

美術作家 伊藤正人氏による企画展「緘黙する景色」に参加します。
言葉になる前の動きを 言葉によって表出させる、四名の作家による美術展です。

「ファン・デ・ナゴヤ美術展 2012」での企画、来年1月に名古屋市民ギャラリー矢田にて行います。
この展覧会に向けて、今年の 9月から毎月一号ずつフリーペーパーが発行されます。
フリーペーパーは各出品作家それぞれと企画者による共同作品です。美術館、ギャラリー等に配布されますのでどうぞお持ち帰り下さい。

展覧会詳細は「緘黙する景色」の webページを御覧下さい。
(文・村田)

日時・2012年 1月11日(水)- 1月22日(日)※16日(月)
   休館 9:30 - 19:00(日曜日は 17:00 閉館) 
会場・名古屋市民ギャラリー矢田 第1展示室
主催・名古屋市文化振興事業団、名古屋市
企画・伊藤正人
出品・河田政樹 丹羽康博 村田 仁 伊藤正人
入場無料


遅い台風で、たくさんの顔を見過ごしているうちに、お人好しだからと黙り、テープのリバースを待つ。これからもっとたいへんでも、話せないよりいいよ。

http://beyondwords2012.blogspot.com/

金曜日, 9月 02, 2011

氏の歌は変わっていく

非常に偉そうに批評めいたことを書く。
少し前にレンタルした槇原敬之の新譜を聴いていた。
これがなかなか理屈っぽいアルバムだ。震災を受け、時勢へ応答している内容なのだ。
「Heart to Heart」(2011)と名付けられていて、なんだかチープなデザインのジャケットである。 楽曲のどれもが聴きやすいポップにまとめらているが、どうも歌詞があっさりしていない。ネットで原発奨励ソングと叩かれた論点は間違っているとは思うけど、そう解釈されてもおかしくないくらい誤解を招く表現が多いと思う。二言目には「ありがとう」や「当たり前のことに感謝」というキーワードが出て来て やや説教くさい。
そんなことを書くと、お前の詩なんて理解されないしこの誤解可能なブログはどうなんだと言われそうだが、聴き手が不可解なものに入って行く当たり方と、受け入れてくれそうなポップミュージックに理屈めいた言葉が乗ってくる ちぐはぐさとは違うだろう。
ただ、自分はこの傾向を批判しているのではなく、もしかしたら槇原敬之が大きなステージに展開するきっかけではないかと感じているのだ。

自分は、中学生のときに氏の 1st アルバム「君が笑うとき君の胸が痛まないように」(1990)を買ったのが、生まれて始めて買った CD だ。レンタル CD でテープにダビングする日を経てから買い直し、ラジオのエアチェックもまめにしていた。思春期における自分の基礎的な感覚を養った存在である。
いまでも当時のアルバム(ファンの間では「君 三部作」という)らを聴くとグッときてしまう。これは思い出フィルターも入っているのだろうが、やはり当時の歌がいちばん活きが良い。楽曲と歌詞の密な融合が成され、目に見える成長と広がりがある。ストレートな感情表現を日常風景に落とし込んでいくことで歌われる切なさにリアリティを持たせる方法が確立していく。フォークソングほど女々しくなく、ロックほどドライでもない。繊細さを持った歌詞と、メロディの多彩さを武器にして支持を集めてきた。
メジャーで走り続ける苦楽のなかで、定番枠に入りつつあった頃に氏は覚せい剤所持の逮捕事件を起こしてしまう。同時に同性愛者であることも騒がれ、あらゆる意味でタブーと叩かれる存在になった。自分はその頃、ちょうど出ていた「Cicada」(1999)のあたりでは気持ちが 離れていて、あまり反応していなかった。この状況を真正面から受け止めた再出発のアルバム「太陽」(2000)は良く売れていたようだが、本当のところへ踏み込んでいない感じがして、あまり好きになれなかった。丁寧な聴き方をしていないのもあるが、それこそ会社の意向やメジャーに存在するが故の正当性を通しているように思えたのだ。ポップシンガーが性悪説を唱えてそこには居られない。ただ「Cicada」収録の「Hungry Spider」は、そんな危ないところへも挑戦している歌だった。そこで逮捕されるというのが象徴的ではある。
それから何枚か出たアルバムを聴いたりもしたけれど、自分の気持ちは返らなかった。国民的支持を集めていると評されている「世界でひとつだけの花」(2002)なんて、何も良いと思わない。これこそ理屈っぽいと思ってしまう。以前にも同じ内容をブログに書いたけれど、比べ合う人間は愚かだねと言いながら、実は「花」と「人間」を比べてそこに気付いているのが原点だから、そもそも「比べたがるのが良くない」という主旨が肯定できず、ロジックとして崩壊していると思うのだ。なんて五月蝿く書く自分がいちばん理屈っぽいのだが、比べなくて良いという気休めな歌が、また支持されるというのも気色悪く感じてしまう。だいたい花が争っていないなんていうのも人間の主観だ。地面の下では根っこを伸ばし合い、誰よりも自分らしく美しく咲く為に養分を奪い合っているかもしれない。あの歌の欠陥は「誰よりも」と「自分らしく」を分けてしまったところにある。一見、受け入れやすいメッセージだが、実は「だったら自分で、これでいいやと言えば終わるじゃん。蓮舫の言う 二番じゃダメなんですか を受け入れることになってしまう。」に行き着く危険性を持っていると思うのだ。
やや偽善的な印象すら持つ歌は、初期にも多い。それは性格的な部分にも由来していると思うが、逮捕から復帰後の歌はその要素が多分に多いのだ。
ダークサイドの自分に向き合う歌がいつか出てくるのではないか。そこはきっと深い歌になるだろう。そしてそんなポップソングは少ない。そうやって自分は氏の歌を捉えてきた。

今年の新譜「Heart to Heart」は、震災の影響をもろに受けた内容になっており、先述の原発奨励ソングと騒がれた歌も入っていたりで、理屈っぽい。そしてこれは皮肉だと思うが、「当たり前なことに感謝する」というスタンスを貫くがあまりに、逆に極めて頑固で自由な発想の効かない氏のダークサイドが露になっていると感じる。そんなに感謝なんて思えるかよと批判されるのも当然で、原発問題は 恋愛ソングのように人それぞれと割り切れない内容を含んでいる。しかし誰もが原発反対、賛成、と声をあげるなかで 氏だけが「いままでの恩恵に感謝すら感じられないなんて逆に危ない。それを忘れたらもっと失ってしまうのではないか。」と歌うのは無意味なことではない。殺伐とした社会は日々への感謝の気持ちを忘れているとも見える。現代人にこそ氏の頑固なまでの歌が、気持ちをほぐしてくれるものとして機能するのかもしれない。あくまでもそうかもしれないとだけ思う。まわりくどい歌詞と、聴きやすいポップメロディの合致は不可思議な分裂状態に着地している。そしてその主張自体が偽善的な道徳観と色眼鏡で見られてしまってもしかたないところにもいる。普遍的で安心する姿勢を持っているとも言えるが、そんな甘いことを歌われてもと思えてしまう。

何度も同じことを書いているようになってきた。
氏の逮捕後から続いている理屈っぽい本質追求ソングの路線は、成熟はしていないものの、本作でやや動き出したと思う。それは震災を受けての時代に返答するという姿勢がそうさせている。比喩表現を捨て、ストレートに「原子炉」という言葉が出て来たり、それでいて「犬みたいに僕と君は笑う」などの表現も共存させようとする。ただメロディは犬の鳴き声を入れるなどの自然な関係ではなく、作り込んだポップで、意味内容と合致しない気もする。
ここまで書いて、かつて「どんなときも。」(1991)は、理屈と切なさの共存ではなかったかと思った。
「ビルの間に落ちる夕陽」と「僕が僕らしくあるために」という歌詞が続けてあり、そこに爽やかで力強いメロディがあった。

http://www.makiharanoriyuki.com/topics/heart.html

木曜日, 9月 01, 2011

確かな手順

サラダバーに二人は食らいつき、誰にも話せない仕事をした。
君が居てくれるだけで僕は頑張れると、居座った大広間の片隅で話した。
それからは画面の指示に従って進めるだけ。
三ヶ月でも五ヶ月でも何かを成し得る。
確かな手順を取る事ができれば、もっと野菜も採れる。

水曜日, 8月 31, 2011

八月の仕事

「また楽しくやりたい」と綴り終えた自分の日記で、聴いていた歌の CD を買った。
いままでは YouTube で聴いていたのみだった。ベストアルバムにも入っていたけど、その名前が付いているアルバムを選んだ。
嵐の前の静けさを、いまは見ている。
夜中に机を運び出せないし、ギターを壊すこともできない。文字は五月蝿くないので、本棚を崩すことはできるけども、夜中と文字は危ない関係なのでいまはやめよう。
目隠しをして次にする。
サングラスが目隠しにならないことは自分が良く分かった。
夜中には CD を聴いて、寝るに限る。
「確かな光」(高野寛/2004)。

その前の日記は去年の二月だった。
今年の夏は三年にいっぺんの CUBE 展で、自分は七月にあったアナログテレビ放送終了の放送をきっかけに「世界の終了ではない」を作って出した。
続きの詩を書くのが、九月の仕事だ。

http://jinmurata.blogspot.com/2010/02/blog-post.html
http://jinmurata.jpn.org/301/101/sekainosyuryoudehanai.html

火曜日, 8月 30, 2011

フラグ湯

晩に ミチクサの長老 中山氏ことマーキーと温泉へ行く。少し遠出して、守山区にある竜泉寺の湯へ。広くて綺麗で良好。炭酸泉とミストサウナが良かった。眠気との戦いとなる入湯になっていた。
やたら小中学生が多くて、無邪気に洗いっこなどをしている。
ミストじゃないほうのサウナを出て、子どもらを見つめていたら「そうか。今日、明日で夏休みの最後だ。」と気付いた。
暑かった夏休み。よく汗を流して。
我々は既にえらい歳だ。
ミチクサ二階で このごろのニコ動事情などを聞くけど、呑んでもいないのにすぐ寝てしまった。

「(寝る)だろうと思ったよ。」
「フラグ立ってた?」

豚足も食べたので、やたら美容ツアーになったとも繰り返す。
「太った」は口に出さずに繰り返す。

日曜日, 8月 28, 2011

けんちく体操

ナディアパーク・アトリウムにて、ファミリーワークショップ「けんちく体操」 が行われた。

始めて見た「けんちく体操」は 面倒な説明をすっ飛ばして、体感して楽しめるものだった。形態模写であり、読み取りであり、連想であるが、そんなことは体を動かして気付くのだ。
子どもだけでなく感じられるものであって、規則や理屈にがんじがらめになるものではない。
理屈っぽい顔した博士がいちばん柔軟で、自由が欲しいと歌舞く集団がいちばん決まり事に五月蝿くて堅かったりする。柔軟なものはどこまでも創造を広げ、堅いものは決められた場所で暴れ歌う。
などとは自分の思ったことです。

「どまつり」で踊った帰りの家族が、通りがかって参加された。その瞬間に拍手が起こっていたのが感動的だった。そして最後まで 建築を自分の体でつくっていた。

http://www.creative-nagoya.jp/whatnew/201108001.html

土曜日, 8月 27, 2011

許せないものに怒りをぶつけること

「怒り」を伝えるのは難しい。
「批判」とも違う。批判は冷静にもできる。怒っていなくても批判はできる。
「怒り」そのものは正当性を目指さない。
ただ、コミュニケーションの重要な要素だ。
私はあなたに怒っているのだと。
「冷静に怒る」っていうことができるか。

それこそ原発問題への政府の対応はどうだ。批判し出せばきりがない。怒りが止まらない人は多いはず。日本では、テロや暴動は起こらないものだと思い込まれてる。だからこそうまくガス抜きが機能しているのか。怒り狂って暴れたところで、放射能が無くなるわけでもないことを分かってしまっている。
冷静に怒り、批判するなんてこれまたお行儀の良い姿勢が要るのか。
いや、怒っていいのだ。
冷静かどうか分からない。傷つけたら謝るしかない。傷つけたくないものを避けて、許せないものに怒りをぶつけることは必要だ。
怒りが相手と自分にどう受け止められて、どう働くか。
そこに懸かっている。

金曜日, 8月 26, 2011

ガス抜き by テレビ

紳助騒動の恐れるべきはシラケさせることで何かが忘れさられ、見えなくさせる操作なのだと今日 話を聞いた。
謝って潔白にしなければキャンペーンがもたらすのはもっと白々しい世界。
皆で、辞めればいいんだバカバカしいと遠い目で無視したい。

東海テレビのテロップ誤放送事件も、韓流偏向と騒がれるフジテレビ批判も、みんなメディアによる高度な情報操作と考えてみる。
テロップ事件は意図的に入れないとシステム上、うっかりは起こらないだろうという話も映像制作の友人と以前にしていた。
偏向して放送させてブームを作りあげるなんてのは、フジに限らずメディアはやっている。もともと怒りが起こりやすい政治傾向の要素に絡めて巧妙に着火し、怒りが拡散されないように礼儀正しく暴れて頂く。日本ではロンドンのように無軌道に暴徒化しない。(と判断されている。)
そもそも何から怒りの鉾先を外させて、ガス抜きしているのか。

やはり原発問題だろう。とにかく東電を守って国策を批判されないようにと。

節電をするなら 図体のでかい地デジを消すのが効果的なのに、それはテレビで言わない。ネットを見られると暴かれてしまう。テレビは右に習えで、がんばれ日本の熱血論と優しさ涙で馬鹿のひとつ覚えをさせるのだ。思えば、紳助の最後の仕事はその究極、「24時間テレビ」だった。チャリティ風バラエティーだあれは。
こうしてガス抜き洗脳は続く。
ここからドロップアウトするには!

木曜日, 8月 25, 2011

When we lose.

突っ走る車両のシャーシに乗っていられるわけがない。
どれだけ強がっても馬鹿にし合って仲が良くなるとは思えない。
ただ、過ぎ去って消える流れよりは、自分の弱みを見たわけだから、影のかたちくらい覚えていく。
満員電車よりも覚えていく。

水曜日, 8月 24, 2011

虚空へ呼べば

夏の路地でよく見る上半身裸のおじさんをやってみた。
すぐそこの自販機まで。
背中や腹を夜風が包んでくれる。
月が煙のような雲のなかにあった。
思えばコメ ント欄やここに吐けと書いたり言ったりと言葉をぶつける前提の場所にばかり向かっていた気がする。
皆、うんうん唸っているような晩。
八月第四週。

火曜日, 8月 23, 2011

誰も読んでいないきれいごと

「相手を否定することだけはせずに、尊 重し合って話し合うのが重要です。どんなバカバカしい意見でも、 皆で話し合ったからこそ有効に働くタイミングもあります。一人で 思い詰めてしまうと生まれない発想があるかもしれません。逆に邪魔くさいことも起こりえますが、そこは互いに尊重し合えるかです。ダメと言うのは意見に対してであって、個人に対してではありません。」

理想を語り続ける者は必要だが、何を語っているかが伝わらなければ不要になる。

月曜日, 8月 22, 2011

祖母も鰻好きで、自分は猫のアテレコをする

今回の帰省にて、津で食べた鰻が美味しくて美味しくて、お昼も思い出していた。
スーパーで鰻丼半額になっていて買おうと思ったが、鰻担当の舌が肥えているはずと踏みとどまった。きっとがっかりしてしまうだろう。あの味にゃあ勝てん。母方の祖母も鰻が好きだ。食いっ気はおうせい。「津餃子より鰻だニャア!」と、ラムちゃんの腕をつかんでナレーション。「猫はそんなこと言っていない」とはじめて怒られたのは大学院の終わりごろ。それまで勝手に言葉を付けることにツッコミは入らなかった。これは自分の重要なバックボーンだ。ねんがらねんじゅう、猫の鬱のアテレコをしている。

日曜日, 8月 21, 2011

ラムちゃん

実家の猫、ラムちゃんはてんかん持ちだが、強くたくましい。犬に負けないワイルドキャットだ。
三重の田舎の田畑を駆け回って、ときどき住居に帰って生きている。
ずっと家猫の、我が愛猫 鬱などパチンである。

CUBE 展の最終日、搬出は車を頼んでいた関係で 控え室掃除の段階に失礼をさせて頂いた。
真空管テレビ台を運びきって、ひとまずの解放。ラムちゃんが上で寝るだろう。
夜は弟に久しぶりに会って、泣きじゃくる甥と笑う姪とピザを食べた。近鉄で名古屋へ戻る。


土曜日, 8月 20, 2011

これからあることなのかもしれない

CUBE 展 会場へ。津駅から美術館まで歩くときに、暑さがひいていることを実感。らくに歩ける。いままでだったら汗だくの半死に状態で向かっていたことを思えば、相当涼しくなってきてくれた。

県民ギャラリーのすぐ前にある木製椅子に座って、稲垣さんと仕事やビールの話。
林さんには言葉のテンポの感想を聞く。
秋に津である展覧会のことを倉岡先生は話していた。夜にある懇親会の前に、らんぷという喫茶店に行ってチケットでごちそうになった。店へ行くのに、iPad を出して地図を出しては自慢げに向かったが、google マップでの特定位置が「おおよその場所」という表示で、結局迷ってしまった。UQ WiMAX は津市内でも接続が不安定で、再検索ができない。繋がるときに先に web でもチェックしておくべきだったのだ。

後輩の実行委員らが懇親会のレストランを準備してくれていた。向かうときに雨が降り出し、予定の時間を超えて騒いだ後にも雨は降っていた。
地元の駅まで送ってもらう。絵を描き続けていられるのは楽しいと聞く。
急に雨が降ってきて、大慌てでキャンバスをしまうような風景を思い浮かべた。実際に高校のときに美術部の合宿であったことかどうかも思い出せない。思い出に戻ろうとしているのではなくて、続いていく面子で新しいことをしているわけで、もしかしたらこれからあることなのかもしれない。


金曜日, 8月 19, 2011

気分だけケン

iPhone アプリ「カプコンアーケード」(CAPCOM/2010-)が 知らないうちにバージョンアップを重ねていて、どんどん新しい筐体が追加されていた。いまや「スーパーパズルファイターX」(1996)という微かに存在を知っているパロディ的なパズルゲームまで置いてある。
このごろ、電車の移動時にはこのパズルファイターをやっている。
キリの良い短い時間で遊ぶことができるのがちょうど良い。最初は偶然だった連鎖も作れるようになって、じょじょに巧くなってきたのが自分でも分かる。まぁ、そんなに威張って書くほど難しいゲームでもない。おそらく落ちものパズルのジャンルのなかではあまり巧妙に作られたほうではないだろう。カプコンのキャラで押しきって成立させている。キャラクターが対戦として出てくるだけで、パズルの内容的にはパロディになってはいない。キャラを変えて相手へ落ちる攻撃ジャムの色順などが変わったとしても、そんなに変化が実感できなくて、絵柄や声や動きだけで、もう気分でしかない。自分はストII 同様、ケンを使っている。
今日、とうとうハードモードでもクリアをすることができた。味気ないエンドロールを見ながら、ほのぼのしていた。過度に派手すぎない演出で、これくらいがちょうどいいと感じる。シンプル・イズ・ベスト。プレイ時間だけでなく、ほど良いボリューム。なんでもやりこみ前提じゃなくてもいいだろう。特に携帯で遊ぶものは気軽でないと。

http://www.youtube.com/watch?v=EBHXr-u6kvE
http://jinmurata.blogspot.com/2010/10/blog-post_3772.html

木曜日, 8月 18, 2011

終了って言葉、さみしいと感じました。

「終了って言葉、さみしいと感じました。」

Twitter で伊藤さんへしつこくフォローして聞き出した、出品作「世界の終了ではない」の感想。
丁寧に言葉にしてくれて嬉しい。

温度は勝手に起こるのが良い。

水曜日, 8月 17, 2011

運命は知ることができないから

山下達郎の歌声がラジオでよく流れていた。チューニングが良くなくても あの夏の向こうに と聴き取れる。新曲かなと思っていたら、そうではなく「僕らの夏の夢」(2009) だった。爽やかなアニメ映画の主題歌だ。フリーペーパー「R25」のインタビュー記事によると六年ぶりにアルバムを出すらしい。録音機材や、CD からダウンロード形式への音楽の流通状況の変化、それによるライヴの再評価、若いドラマーを入れてのバンド再編成などが語られていた。

歌詞は、あの夏の向こうにではなく、あの丘の向こうにだった。
山下達郎といえば、クリスマスソングで名を馳せているが、実は夏の歌もある。かつての「さよなら夏の日」(1991)も切なくて気もち良い。

二つの歌を聴いて思う。
両方の歌詞に「運命がここからどこへ向かおうと」「どんな未来おとずれたとしても」と、希望に媚びない姿勢が語られていて、それが爽やかだ。この風がメロディに響くのだろう。

http://www.youtube.com/watch?v=4jw_4d8XQGI
http://nicoviewer.net/sm7632002

火曜日, 8月 16, 2011

車を出してもらう

CUBE 展の搬入に、ユーシクンに車を出してもらう。三月まで同じ職場で、それ以来 会っていなかった。車中ではあれからの生活について話す。割の良いバイトのこと。住居のこと。ここいら周囲のアートシーン話とか、結局は タブレットは iPad2 の一人勝ちで、Android のタブレットは重いし値段も同じくらいで (むしろ高くて) アプリもタブレット用は少なくて 勝負にならんという話になった。いやほとんど僕が騒いでいただけだ。
彼にはギャラリーの搬入口まで運んでもらい、とても助かった。

無事に搬入を終えて、実家まで徳田さんに送って頂く。
津から久居、一志へと旧道で抜けたので、十五年ぶりに見た風景が新鮮だった。旧道の店はあまり変わっていなかった。
夜、映像の手直しを子供部屋、現 仕事部屋でレンダリング。

月曜日, 8月 15, 2011

66年前

終戦記念日。66度目だ。その夏も今日のように暑かったのだろうか。
ノーカットで玉音放送を YouTube で聴くことができた。同時現代語訳付きである。意味が分かってくるといたたまれない。

いろんなことを放り投げて、ばらばらになった街を王様は闊歩するしかない。賢者は瓦礫から煌めく石を拾うだろう。それを錬金できるまでは時を要する。

先日、自分は炎天下の路上で生命の危機を感じた。雨が降っていたら傘をささなければいけないという判断と同じように 対策が要るということを思い知った。熱線が降り注ぐ午後三時。この国はたいへんで、自分たちを取り戻そうとヒステリックになる者も現れる。冷静ぶる者もそれはそれで気持ち悪い。みんな気持ち悪いじゃんと文句だけの奴は一人なのだ。いつの世も。

日曜日, 8月 14, 2011

打ち上げ花火

打ち上げ花火のち中華。
民 (たみ) から集めた金で打ち上げて、バスに乗って持ち帰って行く。
一瞬を歌う歌を思い出せど、別れも入ってるからあんまり大声で歌えない。

ロッテリアでイチゴシェーキ百円。
待つ間に、詩作。なんてうまくいくわきゃあない。
駅ビルのレストランからは見えない。
だからここに来た。
だからここに来た。
大切なことだから二度ならずに何度も打ち上げよ。

土曜日, 8月 13, 2011

世界の終了ではないを制作

編集仕切り直し。考え方を変えなきゃということを考えこんでしまう。取り込み方法を簡略化。文字の表示方法を幾つか試す。Live Type を併用するのをやめる。理由はアニメーションがそこまで激しくないのと、タイプライターアニメに違和感を持ったから。欲しいのはテレビのバラエティー番組での文字区切り関係なく出る引き戸アニメ。こちらのほうが重くないし、タイプのように入力しているのではなくて、声に出していることという印象になる。重くないテイストというのはこの作品にとって重要だ。タイトルは「世界の終了ではない」。映すのにと購入した真空管テレビは動かなくなってしまった。完全修理には日にちが足りない。

金曜日, 8月 12, 2011

皆で電話する

お金が無いからという反論の余地が無い理由で、急遽 会場が変更になってニュッキュパ居酒屋に集まる。崩れたポリゴンのようなツギハギのビルをくぐって、なんだかんだと集まった十余名。
気付けばすぐに終電で、三人になっていた。十二時の閉店までねばるなか、そうだ彼に電話しようという話が起こって、マーキーの iPhoneから発信する。

マーキーの iPhone は、先日、海に行った帰りに無くなってしまって、僕は停止させたほうがいいと言って、ソフトバンクに止めてもらったら、載せてもらっていた車の方が座席奥より発見し、あやうく捨てられるところだったという経緯のある機体だ。

思えば遅い時刻だったのに、しかも飲んだ勢いで電話してくるなんていうう暴挙だったのに、彼は静かに話してくれた。

もういまは野球してないんかと実家で親に聞かれたことを思い出した。
そしてニュッキュパだからと言って安くあがるわけでもない気がした。

木曜日, 8月 11, 2011

ジワジワ編集

Mac 数台同時に使わせてもらって、今月の CUBE 展に出す作品の映像編集。編集時に必要だと思う勢いの良さが、どうも起こらない。バッサリいかずにジワジワ切り刻む。ひとつの意味で決め切らず、囲いこむように問い詰める。時間がかかってしまうのがあまり歓迎できない状況で、少し焦る。焦っても仕方なく、何をするべきかなのと、何ができるかを冷静に見極めるしかない。なんてことの繰り返しだ。いい時間で終了。今回の作品の原案をもたらしてくれた 桑さんに編集の技術的なことも教えて頂く。Final Cut Express だとやっぱりか弱いのね。遅くまでやっている中華料理屋で満腹。

水曜日, 8月 10, 2011

パープル・ケース

先の渡独時に借りていて その荷物の重さと長時間タイル上を走ったことにより大破したスーツケース車輪を修理に出していた。安物だったら新しいのが買えるくらいの代金がかかってしまったけれど、このケースは二回も かの地を踏んでいる。いや、現地で購入したらしいから来日しているのか。またこいつで行きたいと思うのだ。修理を終えたやつを引き取りに行く。せっかく車輪が綺麗になったのだからと、帰り道で傷つかないように袋に入れてもらう。

火曜日, 8月 09, 2011

プロの姿勢に

自分にはここまで話せるのだいうプロの姿勢に感動。
そして、それぞれができることをやればいいんだという気持ちにも。

Ustream にて、児玉龍彦 (東大先端研教授) × 津田大介 (ジャーナリスト) 現代ビジネス。

http://www.ustream.tv/recorded/16442790

月曜日, 8月 08, 2011

カオティックな画面に流れている見えないもの

テレビ画面はアナログ放送終了までのカウントダウンが編集され繋がって行く。声が画面に立っていく。声の列を 視聴者は追いかける。
世界について何かを言えば、目を覚ますしかなく、目をこすって行く笑顔と共に、交錯するしかなく、そういった方法でしか 世界を見れない。これだけが世界でないというのは常で、これだけが世界だというのも常だ。否定は常に肯定を持ち合わせている。
世界がいまここだというのは気分が良く、私なんて端の人間と言うのも誇り高い。
ガチマジで長い詩は とにかく全てを語ろうとする。全てこそが世界で、混沌を抜けて戻っての繰り返し。
土夜日 に描く混沌を ここに。
最後の晩餐萌えに徹する。

メモを携帯に。
それから地下でメール打ち込んでおいて、地上に出たと同時にまとめて送信処理をかける。

日曜日, 8月 07, 2011

庭のサイズ

名古屋城近くのホテルで行われていたアートフェアへ。その足で市政資料館の展覧会も見る。その間を徒歩で行ったとき、夕方だったが異様に暑く。苦しかった。やや生命の危機を感じて入ったローソンで三矢サイダーを買った。アートフェアでは見る専門だった。フェアは買う気で行かないと楽しめないものだと分かった。金沢から遠征して来ている画家の中谷さんにお会いすることができた。またサイズの話をする。ホテルの個室で展示するということもあってか、小作品が多い。買いやすいという理由が主かな。小作品でも空間の引きは欲しくなるなとも思った。フェアはそんなことあまり考えないものか。バーゼルのインスタレーション部門のフェアはどうなんだろう。更に歩いて大須でパーツ買い出し。帰りにイオンでトンカツ食べる。食べながら日々の労働に感謝の祈り。詩作しようと思いながらすぐ寝た。詩のフェアは武道館でやってたコミケならぬ ぽえけっとかな。なんか広い庭で行う詩の何かとか考えようか。

土曜日, 8月 06, 2011

黙り、騒ぐ

朝八時起床。テレビをつけ、広島からの平和式典中継見る。黙祷。広島市長の平和宣言に政府へのエネルギー問題言及が盛り込まれていた。

夜八時、仕事の後に本山の Frolist Gallery N へ。詫間さんらの企画展オープニング。立ち話故にクリアコップにビール二杯程度で酔いが回る。小さい作品だとここちよくなるきらいがあるという点は、スキルではないと思う。小ささを凌駕することができるかだと帰りにピーピー騒ぐ。

金曜日, 8月 05, 2011

エクセルハイを理由に

定期券売り場で石碑の話。女性駅員さんは「お客さんが経由したいと言ったからこの経路にしたんです」と ごもっとものことを言ってくれた。
自分は入金された嬉しさで調子にのっていたのだ。
おつとめ品のお弁当を狙って夕方に買いに行こうなんてツィートして。ろくに音楽も座り心地も確かめず、エクセルに打ち込むのを没頭していた。

木曜日, 8月 04, 2011

ピーカンテレビ・コンプライアンス

東海テレビ、ピーカンテレビの誤放送問題。これぞ叱られるべき 不謹慎である。
制作会社は その忙しさや繰り返しから、放送することの意義とか影響とか麻痺していたのであろう。擁護ではなく、どんな現場でも麻痺は起こる。それを防ぐ為にチェック機能とかコンプライアンス諸々があるはずで、血相を変えてでも消去すべきデータだった。だいたい震災で苦しんでいる人のことを少しでも考えている人ならリハーサルの段階で憤慨し許されない内容である。その程度の意識で放送が作られていたということだ。

なら自分の胸に手を当てて、自身の仕事への意識はどうか。コンプライアンスはどこにあるか。詩人ですか、アーティストですかデザイナーですか芸人ですか。いーや詩人です。自粛しない詩人。自称から自他共にを経て、人に言わせればへ行く。麻痺に気付け。

この頃、やたらフジテレビ批判がネットで目立つ。東海テレビもフジ系なので今回の問題もそのまま批判を強めることになっている。実際は問題を追求すべき要素はそれぞれ別なのだけど、テレビ局の嫌なところが集結している感は否めない。大衆が ざっくりと怒りをぶつけられるという状況になっていると思う。アナログ放送終了時にフジが放送した 27時間テレビ内で起こった笑えない虐めバラエティーも酷かった。「テレビばかり見ていると頭が悪くなる」という PTA的な言葉も頷ける。まぁ、ネットばかり見ていても頭が悪くなるとも思うが。テレビが受け身で情報を浴びせられるのに対しで、ネットは能動的に情報を得ていくメディアだという意識もあっての言葉なのだろう。

水曜日, 8月 03, 2011

世界の終わりじゃない

ファミレスに行くことをやめたのは 時間じゃなく金銭的な節約。バスで見送ったら、思いのほか早く着いたとメール。帰宅後、CUBE に出品する作品を進ませたいが見事に寝てしまう。

本作は「THE END OF THE WORLD」(詞、曲, 槇原敬之/1996)と同じ題名になりそうなところを走っていった。ありふれた言葉の否定で始めてみようと思っている。

http://www.youtube.com/watch?v=of0j702dxZI&feature=related

火曜日, 8月 02, 2011

おそいひとのラストシーン

潰れることが決まった USV で最後に借りた DVD「おそいひと」(監督, 柴田剛/住田雅清、とりいまり、堀田直蔵/2007)を鑑賞した。
ラストの野外シーンに一番惹きつけられた。説明要素をすっ飛ばして来た違和感がラストに解放される感じ。筋書きの納得がいくのではなく、こんなシーンに行くまでなら納得する。
障害者の犯罪というタブーを扱っているのが目玉だけど、重要なのはドキュメントタッチの撮り方とクラブサウンド、モノクロ画面の入り組んだ構造にあると思う。この作りをしていなければ生々し過ぎて、見ていて辛くなってくるだろう。かといって嘘事のお話テイストにもしない。絶妙のところを走っていると言える。国内で問題視された後、海外公開して評価されてから日本に逆輸入して大きく公開へ至るというのも巧妙だ。タブーに取りかかる時点で頭をひねっているのだ。ちっともおそくない。

http://osoihito.jp/

月曜日, 8月 01, 2011

割愛多き

裁断機で汗をかく。今月 汗をかくのは基本的な設定なので当分はこの表現を割愛しよう。
昼飯後に歯を磨くことも今月の課題。それは書かないけど行うこととして。
アートとデザインを分けて教えられた者の弊害は根深いぜ。
脳内コンフリクトの地ならし始まりそう。Twitter のアカウント写真変える。ブログ左上部に載せていた写真も同じく。

日曜日, 7月 31, 2011

やたらめったら汗をかき

注文していた素材が届く。部屋が一気に狭くなり、いろいろ難しい。
やたらめったら汗をかき、目に見えた進行が無いために 急にやさぐれる。
些細なことで嬉しくもバッドにもなるもの。目の前のこともこなすとして、思い出して気を休めるときも要るだろう。

土曜日, 7月 30, 2011

蓄音館とオヨヨ

内なる声は鳴っているか。行列に間に合わなかった。朝は大雨のニュースを見ていた。市場から古書店から洞窟やら汗かきながら歩く。
以前に山口から来ていた藤井氏が絶賛していた「金沢蓄音館」へ行く。

ちょうど着いたときに蓄音機の聴き比べの時間で、種類別に音を聴くことができた。電気を使わない蓄音機の豊かな音が味わい深く、また、解説の方の語り口が落ち着いて豊かに感じられて良かった。
エジソンが作った筒型レコードをいま自作できないかなと思う。
録音も使い手がそのままできる構造だったらしいし、何より形状や短さが新鮮だ。
新鮮に感じながら帰りのバスに乗る。

ロング缶のビールひとつ。花火大会へ向かう浴衣姿の人々を横目に。それから歩いて行く方向は見えずに。古書店の名前はオヨヨ書林だった。再会を多く経る。

http://www.oyoyoshorin.jp/
http://www.kanazawa-museum.jp/chikuonki/

金曜日, 7月 29, 2011

雪の降る頃にまた来たい

金沢遠征。駅前の温泉リクエスト再度。サウナの温度がちょうど良くて快適。じゃらんの口コミに感想書き込む。
女性という括りにはどうも抵抗あり、真意はそれではないはず。来年始めの展覧会のことも話しながら。二年前に一度だけ行ったことのある極めて地元のお店へ。クリントイーストウッドの出てるファイヤーフォックスなる映画をかけていた。雪の降る頃にまた来たい。

木曜日, 7月 28, 2011

月がきれいですねアゲイン

家族ってやつは、みんな意識せずともなんかある。
一日立ちっぱなしだった帰り道にはそんなことも思い出す。
外でなら空も目に入る。ビルの多さに比例して焦るだろうと歌ったのは電気屋の息子だった。
それでも好きなことを選んでいたいし、しつこいくらいに話をやり直したい。途切らせていたのは当の自分だったりしても、本当にキレイと思っているのだから怒りゃあしない。週に一、二日、自分は電気屋で雇われの身だ。

水曜日, 7月 27, 2011

悩みこそ掲げられ

幾つになっても会話はたいへん。みんな褒めてほしいし、みんなけなしたい。
悩みに年齢相応も無いけどさ。
いざ相談なんてお願いされたらそんなことも考える。みんなの為の買い物頼まれたら相場を考えるのと同じ。自分一人なら幾らでもいい。幾つになっても一人じゃ寂しいのはもう分かる。

火曜日, 7月 26, 2011

乗り越えたこと

「コクリコ坂から」(監督, 宮崎吾朗/長澤まさみ、岡田准一/2011)見た。
みんな心がキレイ過ぎる気がしたけど、そんなの野暮なツッコミだった。
つじつまが合うことで皆から拍手されるけど、いちばん素敵ななことは乗り越えたこと。それに打たれる。

http://kokurikozaka.jp/

月曜日, 7月 25, 2011

デジアナ変換でさよなら言えず

アナログ放送終了まであと○日のカウントダウン表示が、本日正午には終了しますになっていた。警告表示をきっかけに ここ数日、最期を見届けようと番組を録画していた。いよいよ最終日となった昨日。正午に番組が終わり、25日になると共に電波も止まって砂嵐になるらしかった。
しかし自分はそれを見届けることができなかった。
昨日の午前二時、急に画面が切り替わり全ての放送が綺麗になったのである。よく見ると画面の上下が切れていて、番組の表記が右上に出ている。更にその上の帯に「デジアナ変換」とあるではないか。
調べると、ケーブル放送局がデジタルをアナログに変換してくれている対応らしい。総務省が地デジ難民に向けて決めた暫定処置で、2015年の 3月末まで行うという。
こんなこと、アナウンスしてたのか?
自分が情報に疎かったと言えばそれまでだが、砂嵐を見届けられず、さよならを言えなかったのでスッキリしない。
こんなものを録画し続けようとしていたくらいなので明らかだが、自分は終焉に強く反応してしまう。そしてこの警告は何も言わなければそのまま過ぎていく終了を、意識させ煽るものだった。
その煽り自体がテレビらしいと思う。まるで世界が終了するみたいと呟いてみる。アイディア由来でわざとらしく。
「デジアナ変換」は、実は終わっている世界を気付かれぬよう、当局に誤摩化されているようだ。

日曜日, 7月 24, 2011

とろい背中

車に乗せてもらって、暮らしの端へ。
それにはたくさんのを陽当たりを見るべきですよと教えてもらう。
そうしようと思っていたことを言ってもらえたとき、背中を押してもらえたと形容する。
そう、背中を押してもらえた。
遅い足並み。さっさと言えば とろい背中。
形容に断りなど要らぬ、さっさと言えばいい。
とろい背中押せば手足はもげ よく転がっていく。

土曜日, 7月 23, 2011

了承済みのところから

夜、藤ケ丘駅の高架近く、黄色く巨大な看板の中華料理屋さんで詫間さんに再会。女子会に紛れ込んだようなところから男子会へ。先日購入した充電バッテリーの自慢は男子会でしかウケない。了承済みで終電で帰宅。洋食屋さんで御飯は食べずにビールだけ頼んだ。地下でハグするのを多く見る週末。

金曜日, 7月 22, 2011

焦りに伴うものならば

何かに追われる気持ちは何故か。
本当は落ち着いていろんなことを見つめることができるはず。
涼しく、いや寒くなったくらい、流れに任せて試みを引き起こそう。
動き出したのはもっと前。国の僅かなところで。
これからまた暑くなるからたくさん使ってもらえますね。と笑ってもらえた。背中は汗だく。終えよう。焦りに伴うものならば。

木曜日, 7月 21, 2011

まだ見ぬアート

雑巾になるのをまぬがれた CNN を着て、アイウェイウェイの BBC が良いと聞く。
ああ、またタイへ行きたい!タノームさんを囲んでの会。レモングラス入のスープ美味し。
これからのことを思うと目が回ると聞くけど、きっともっと楽しいこと。

http://www.umbilicalsites.com/2011/04/30/missing-ai-wei-wei-未だ不明のアイ-ウェイウェイ/

水曜日, 7月 20, 2011

雷には打たれるし、嵐が来ることもある

台風 6号通過。ここいらは朝のダイヤが乱れるだけでやり過ごす。駅では台風の影響でとアナウンスしているそばから 空が晴れてきているのでバツが悪い。ダイヤの修正はどこかの時間帯に泣いてもらって仕切り直すのだろうか。

レンタルDVD で「ベンジャミンバトン 数奇な人生」(監督, デヴィット・フィンチャー/ブラッド・ピッド、ケイト・ブランシェット/2008)を見た。
若返っていく人生はどのようなものかと想像して作られたこの映画は、定規を逆さにして人生を計り直す試みで、逆でも長さは同じで、思うことや出来ることも同じかもしれないということが分かった。

素晴らしきかな我が人生というトーンではなく、その数奇さ故に かけがえのない時間を想い、永遠は存在するのかと問い続ける。何かを成し遂げるなどの激しい達成感は無く、どこか移ろいに任せる印象。
雷には打たれるし、嵐が来ることもある。
俯瞰で見れば、人生はそういうものなのだろう。しかし流されるだけではなく、彼と彼女は 永遠を問い続けて愛を全うした。
その集大成として伝記の聞き手に、人生を良く生きよと語り継ぐ。
映画の中の聞き手はベンジャミンの日記を読む娘で、この映画の鑑賞者はそこに同席している。

http://wwws.warnerbros.co.jp/benjaminbutton/

火曜日, 7月 19, 2011

女子サッカーワールドカップ 日本優勝!に思うこと

昨日の早朝、pd をいじりながら 女子サッカーワールドカップを見ていた。一点先制され、それでも諦めずに一点 追いついたところで、pd は放っておいてテレビに齧りつく。王者アメリカは確かに強く、身長からして圧倒的な差だが、日本は諦めず じりじりと攻めよっていき、そのまま 延長同点を決め PK まで持ち込んだ!
見ているこちらは興奮しているが、選手らは極めて冷静である。
延長前から解説らが言っていた「サッカーを楽しんでほしい」という言葉が引っかかっていた。PK の前の佐々木監督の笑顔を受けて、それが肯定されたかのように語られていたが、自分はあの笑顔は楽しむとかそんな甘い次元のものではないように見え、怒ってツィートする。
笑顔はもっと戦略なのだ。追われるアメリカ、追う日本という心境へ 空気を持っていき、優勝!!
一人でガッツポーズ。感涙。

延長後半に2点へ追いついた フリーキックからの澤選手のシュートが凄すぎる。体の向きがゴールのほうを向いていない。あの状況で決めることのできる強さに感動。これまたツィート。

今日は、選手らが 帰国して総理に報告を行っていた。帰国当日に総理に呼ばれるのは異例らしく、人気の政治利用だという うがった批判もあったが 、スポーツ振興金が事業仕分けでカットされたり、男子サッカーよりスポンサーが少なく収入が厳しい状況の 女子サッカーが注目される瞬間でもあるわけで、いちばんこの機会を活かしているのは、実は佐々木監督率いる彼女たちなのではないかと考える。
また、スポーツの人気に乗じて政治家が盛り上げに関わるのはそんなに悪いことではないのではないかと思う。オバマも Twitter で観戦を発信していたし、メリケルだって決勝戦を見に来ている。管総理が試合中にどうしてたかは発信されていないけど、テレビで見ていたらしい。そこらへん同時に発信する巧妙さが欲しい気もする。その印象が スポーツ振興金の事業仕分けと重なって「何の応援もしていなかったのに優勝したら急に掌変えやがって」と批判されることに繋がるのだ。

いや、でもそれを言い出せば自分もいままで女子サッカーに注目していたわけではなく、今回の状況に便乗しているだけのゲンキンさである。日本代表に選ばれていながらも、アルバイトをしないとやっていけない状況だと報じられている。似たような苦労をしているスポーツ選手らはごまんといるだろう。芸術の分野でもきりはない。
世間はゲンキンになるものだ。
陽の目を見ないときでも 努力を続けていることが強さに繋がることを、見せつけられた気がする。
被災地の為に頑張ってくれたと感動することもできる。
サッカーを楽しんで欲しいとも言える。
ただ、選手は攻めていく。馬鹿騒ぎをせずに冷静なのは強いからだ。強さは見ている人を自由にさせる。

月曜日, 7月 18, 2011

神p

本日は海の日。pure data による「純粋データ」ライヴ。名古屋造形大学 先端表現コース沖ゼミにて。
参加メンバー十組。pure data 使用は五組ほど。

自分のパフォーマンスタイトルは「神様を pd で」。
サンプルプログラムを繋ぎ合わせたり、同時に立ち上げたりして制作。pd 自体がパフォーマンス向きであることに納得す。

He called the god to us at 41 years ago.
Because He sang about us.
オーケー。純粋さの前にだけ神を。

http://de-dicto.net/pd/

日曜日, 7月 17, 2011

ソラニンからのラーメンからのアイスからのチャイからの

DVD で「ソラニン」(監督, 三木孝浩/宮崎あおい、高良健吾/2010)流しながら pd いじる。キレイ過ぎて食傷気味な印象。
大学を六年間続けたバンドマンの彼が就職すると決めて、本当にそれでいいの?と困惑する彼女の間が収穫だった。それは本編ではないところである。

ラーメン、アイス、チャイ。これからのよろしくと。あとソラニンのタイトルの由来が良かった。from wikipedia。月見煙草。今夜はまだ涼し。

http://solanin-movie.jp/

土曜日, 7月 16, 2011

ヤンチャリカの歌

月が丸くて低いところにあるのを、止まって見る。
カップあずき氷飲んでやってくる太めの男性を、からかって話す女性社員とで、バス停からこの頃の仕事の話をしていた。

その足でノリクン率いる民謡バンド ジリリタのライヴ、新栄きてみてやへ。
ほぼ終わりかけながらいろいろ歌ってくれていた。久々の方と、初めての方と話す。映画のこと、絵本の読み聞かせのこと。
即興でかまされた ヤンチャリカの歌はノリクンの妙に柔らかい声色がくすぐったし。

金曜日, 7月 15, 2011

選挙 で盛り上がるのはアイドルんときだけで後は疲弊

Berlin Naruheso Weltzeitung、略して BNW の報告会 in 名古屋芸大 for 洋画コース及び大学院。夕方より一時間半。来て頂いた皆様、ありがとうございました。反省点は以後に生かすと誓う終了後の飲酒。
自分の作品の紹介は紹介で また行いたいとだだをこねる次第。

木曜日, 7月 14, 2011

オススメミュージック

タイ、バンコクから大学を通して交流している先生方が来られる。昨夜はそれで飲み会。今年の日本はとびきり猛暑だと騒ぐ。タイより湿気が多いとのこと。Aout 氏のことを聞く。彼は最近、FaceBook でいつもオススメ音楽をアップしている。これが おかしなひょうきんさを持った若者ノリで楽しい。そんななから一曲、「radar detector」(darwin deez / 2010)。アメリカ発ねー。

http://www.youtube.com/watch?v=8pbdLqTh_x4&feature=BFa&list=AVAYMcY2vx8GRBqjblbg2GEbkBHdVWkVxi&index=1

水曜日, 7月 13, 2011

18年前、想定から外されていた

今朝の「とくダネ!」で小倉さんが取りあげて驚く。
想定外だと騒いでいた震災による全電源喪失の原発事故だが、実は 18年前に事故の可能性を想定検討する機会が原子力安全委員会のワークグループによって設けられていたというもの。その書類には「そんな事故は考えなくていい」という内容が書かれていたのだ。
想定外は不可抗力ではなく、「想定から外す」という意図的なものであったことになる。
安全委員会は 安全を監視するのではなく、安全であると言い続けることを監視し続け、なんとか原子力発電の体制を続けたいだけなのだろう。
この事実は 市民の怒りの導火線に火を点けそうなものだが、哀しいかなどこか麻痺してしまっているのと、猛暑になって電気の必要さが身にしみてしまい、原発容認の声もまた戻ってきているようなのだ。できるだけ騒がれることのないよう書類を保守していたのかもしれない。
福島原発が全電源喪失してしまい制御不能になったのは津波のせいではなく、地震だということも同じくスルーされているようだ。浜岡原発に津波除けの高い壁を設けたところで何の意味も無い。
停止はしたけれど、廃炉をはじめないと浜岡原発の燃料は同じく地震で面倒なことになるだろう。だが廃炉まで至らないのは、それを認めた瞬間、日本で原発は駄目ではないかと 論調がなるのを避けているだけだ。

認める、認めないではなく、事実 福島はたいへんなことになっているのだから。
脱原発へ舵を切るべきだ。
自分も麻痺を解かなければいけない。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2011071302000208.html

火曜日, 7月 12, 2011

マクドナルドに滞在す

時間を勘違いして早く着く。マクドナルドでコーヒーひとつ頼み、フリー WiFi に繋いでみる。何の障害も無く繋がる。電源もあるのでブラウジングには最適だ。これで椅子が柔らかかったらいくらでも居れてしまう。昼も夜もハンバーガーになってしまう依存症気味の方もいるだろう。マクドナルドのやり方などは好きではないが、町中で安く居座れるという点では最高のコストパフォーマンスである。以前、Twitter で「マクドナルドは高級ブランド店だ」というやりとりをしていたのを思い出す。「安い」と思わせる高級ブランド店だ。落ち着いてみると冷房はそこまで強くかけられていない。節電体制を受けてだろう。巧妙さと付き合っていくのを要求された、いち消費者たち。

月曜日, 7月 11, 2011

紆余曲折した自画自賛

深夜に突然部屋掃除。たくさん捨てる。「pure data」の組み立てが分からない。ずーっと配線いじりをしてる感じ。自分のプログラム能力、ツールに限らずあらゆる仕事の対応も同じだ。句読点が多過ぎる文章だと指導されてきた。岡山のギャラリーで貰ってきた小冊子に 原発事故と絡めて森鴎外の脚気対策について語られているのを読む。Wiki で調べる。森鴎外の文章も句読点多いかも。文豪ってみんな多い気がする。紆余曲折した自画自賛。プログラムはシンプルなほうが問題無く動くし、句読点の乱用は読みにくさに繋がる。流れが悪くなる。だけど 半角空けはテンポが良くなるとか思っている。森鴎外、人でなしかもしれぬ。麦飯効果認めず、三万人ほど兵を脚気死から守れず、自分の理論と権威を守るとは。句読点、厳しくあらな刺されるやも。

日曜日, 7月 10, 2011

団扇のひとつ受け取ってくれたっていいじゃんという空気

西陽が殺人的に強くて部屋が熱される。猫の鬱が外に出て、玄関先の日影で寝転んでいたまでは確認していたのだが、三十分ほどしても帰って来ず、参った。出かけられないと苛立っているところに空腹なので、止むを得ず戸を開けたまま出た。
駅向こうのスーパーへ徒歩で向かう。立体橋のところで空港利用促進キャンペーンをやっていて五人の隊列が団扇を配っている。団扇と言ってもボール紙を円形に切って、持ち手の円をくり抜いてあるイベント用の団扇だ。
懸命のアピールにも関わらず断る。スーパーで買い物を終えてからの帰りにも 隊列の前を通らなければならない。遠回りして違う道で帰ろうかとも考える。それだけの為にこに炎天下を長く歩かなければいけないなんて、負けたようで腹立たしい。そうすると、公的な顔をしているが、キャンペーン自体が図々しいものだなとも思えてきた。空港を使おうと言われて 使うものだろうか? キャンペーンの対象は 出張などで 新幹線か国内線 という選択肢の起こる人だろう。駅で訴えかけるより、もっと効果的にピンポイントな動きはないものか。
などと言ってくる人も居るだろうなぁと立体橋へ。
頭を下げて通り過ぎる。団扇のひとつ受け取ってくれたっていいじゃんという空気。こんな地方の駅前に陣取ることがキャンペーン隊の判断ではないことは分かっている。県の雇用促進事業で進められている仕事だ。もしかしたら自分がそこで声を上げているのもありえた。
猫の鬱は 部屋に帰ってきていた。フローリングの床にへばりついて溶けていた。

土曜日, 7月 09, 2011

I want U back soooooon!

ノリクンだけが君のためにと言って歌ったさー。
君のために怒ったり笑ったりしているのはどれくらい。自分のためさておき。I want you back. は 帰りたいのか、帰って来てほしいのか。

http://www.youtube.com/watch?v=zN6W82kyMAE&feature=fvwrel

金曜日, 7月 08, 2011

He can look a his way only.

英語だけに徹して 私はかの国から来た人に。U've a GAIJIN Power アゲイン。
彼女が見ている人生の可能性ほど、彼には見えていない常を語る。私を「どや顔」と言うらしい。

木曜日, 7月 07, 2011

映画は君のもの

「Supr8」(監督, J.J エイブラムス/ジョエル・コートニー、エル・ファニング/2011)を映画館で鑑賞。
舞台は 1979年アメリカ。自分が生まれた年は、スリーマイル島事件のあった年だったのか。ET をスケールアップしたようだが、おそらく違う。もっと現代に去来している、大人ですらも無力なものに振り回される空気に満ちている。時代設定は 80年代へ向かうところでも、カラッと明るくはない。

スピルバーグへのオマージュという趣旨は先に宣伝されていた。何がどうオマージュなのかは、衣装ではない。恐怖の描き方にある。画面の構図、パン、脚本、ありとあらゆる要素を用いて恐怖の実態を明かさずに引っ張って行く。観客は恐怖が何であるのかを薄々分かりながらもその誘導に身を任せる。かつてジェットコースタームービーと形容されたそれがポリシーを持って発進した。そして恐怖をやり過ごした後には、危機を助け合い、分かち合うことのできた 良い表情の顔がアップになる。人々が何に惹かれて、楽しみ続けるのかがずっと考えられてきた。味が長続きするガムのよう。無駄に消費することはなく、面倒な思考の手続きもいらない。恐怖とその分かち合い。実は直感的なそれを、技術を駆使して よくできたお話として撮ることが、映画だと彼らは言っていた。

スーパー8のカメラで、君へ送るものを作る。よくできたお話は、恐れ、涙した君が信じて映画になる。だから映画は君のものだ。

http://www.super8-movie.jp/
http://www.super8-movie.com

水曜日, 7月 06, 2011

帽子が並べば

結果的にみんな百円ショップでおそろの帽子。
言われてたことと違うなんて社会ではてりめーよと担架きられる汗が充満するのは避けよう。
数をこなす日を経て、そろそろ「CUBE」の作品にとりかからんば。いや全くの白紙だ。
絵を描きたいなーと思ってる。
高嶺格「在日の恋人」を電車の中で読む。日記の文体に顕著に現れる。単純。バスが来ないので駅まで歩いた。
書いてみて離れ業が分かる。帽子が並べば意義が分かる。


火曜日, 7月 05, 2011

オートに潜り込んでみる

雑居ビルの入り口にドイツ国旗があって、ドイツ料理の店だった。ビールを推してた。暑い日の後は飲みたくなる。昨日の大雨も手伝ってか、まだ涼しくは感じる。何階に居ても同じで 紙にサインを繰り返して退室だ。挨拶はそこそこなどではなく、要求されない都合の良さで通されるらしい。制度次第で人は勝手にも真面目にもなる。ならばその制度に踏み込んでみればいいのかも。満員電車で吐きそうになる身で、そんな簡単なことは言ってられないか。豆腐と和えてつくる調味料に手を出してみた。窓を開けるとかなり涼しい風が入って来る。この部屋は一階。二階にはもっと強い風が。

月曜日, 7月 04, 2011

魔女狩りで何も良くならない

暑さにまかせて踏み込むなんてできなくて、憂鬱に流れ着くのがほとんど。
列記すればきりがない手がかりの数。テレビとのお別れ。iPad 充電器兼ワンセグ買えば良いと言われ。
大雨でふて寝。FaceBook で少しチャット。Skype でも少し話す。姿勢の確認。魔女狩りで何も良くならない。

日曜日, 7月 03, 2011

CUBE8

information です。

◆母校の美術部企画展に参加します。

第8回「CUBE」久居高校 美術部 在校生 卒業生 合同展

会期・2011年 8月17日(水) - 8月21日(日)
   9:30 - 17:00 (入館は16:30まで。最終日21日は15:00まで)
   会期中無休、入場無料
会場・三重県立美術館 県民ギャラリー
    三重県津市大谷町11(map)(チラシ PDF 348KB

三年に一度行われる母校の合同展「CUBE」に参加します。
今回で8回目となる「CUBE」は 1987年からはじまっています。村田は第5回目から出品しています。新作を展示します。
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犬の安らぎと同じくらい、夏は返していく。遊びぢゃない。
次の帰省は8月。8回目で。

土曜日, 7月 02, 2011

砂嵐まで

昨日からテレビ画面の左下にでかでかと警告文字が表示されるようになった。
「アナログ放送 終了まであと22日」
と今日はある。そう、今月には地上デジタル放送の完全移行があるので、その警告だ。以前から画面の上下が黒くなって 16:9 の画面にさせられ、テロップも流れていたが、今回は画面内に食い込んできている。急に画面が一定時間 砂嵐になって、24日からこうなりますと呈示してくる告知まである。これからもっと激しくなってくるだろう。
このカウントダウンを録画して何かしよーぜいとメール来たり。自分の改造 iPhone ではロングメールでが受信できなかったので、Eメールで再送してもらう。
砂嵐まで、何を見届けよう。

http://www.youtube.com/watch?v=EQ5xTXG7SD8&NR=1
http://www.dpa.or.jp/genki/song/01swf/01.html

金曜日, 7月 01, 2011

この絵を描く眼だけ

伏見のギャラリー名芳洞にて、倉岡雅先生の個展「女・鏡 - KAZENOKEI」を見た。
横たわったり椅子に座した女性と、静物などを携えている 静止しているような要素が、大鏡に映ることで動的な画面になっていく。超細密ではなく大きな流れがあって、細やかな筆を太い筆が内包していた。立っているであろう角度の位置に画家の姿は映っていない。これは絵だから、映していない。
きっと、この絵を描く眼だけがあるのだろう。

http://blog.atake-i.com/?eid=1234308

木曜日, 6月 30, 2011

涙でなく泣け

大丈夫だよと言ってくれたアトリエは、無くなっても綴られる。
彼がどんな選曲をし、彼女らは何を聞いたか。
ひとつひとつの謎を前に、しどろもどろ。
慣れた手つきで筆を持ってくる先生は内心、素っ裸になりたくて仕方ない。虚栄は付き物だ。ひとつひとつの謎を語れるか。

「Music for AirPorts」( 曲, Brian Eno/1978) で涼もう。涙でなく泣け。

http://www.youtube.com/watch?v=-PypklfMnhw

水曜日, 6月 29, 2011

バジルのサラダ

蚊に刺されてもバジルを摘んで。
しゃがみこんで、これから葉を出す まだ小さいのは摘まないで。
と言っているうちから摘むのだから。
クリームチーズは少し高いけどそのぶんとても美味しい。オリーブオイルもゴマみたいなのが和えてあってバジルの酸味と良く合う。トマトを添えて、キンキンに冷えた缶ビールはたとえ発泡酒でも、この猛暑には最高に喉を潤してくれる。
庭で育てるのに、株を分けてもらおう。

火曜日, 6月 28, 2011

子どもっぽい話を

君が飲んでいるチューハイひとつで 多くの人がいろんなことを考えた。
君が茶化しているお菓子ひとつで 多くの人が怒りに晒された。
君が愚痴っている紙切れひとつで 多くの人が面倒くささを覚えた。
君が押さえている風船ひとつで 多くの人が秘密を囁いた。
君がかけてきた電話ひとつで 多くの人が恋の再開をツィートした。
子どもっぽい話を、
夕方に駆け出す。
君と君の弟と両親の食卓は
君の姉に写真で送られる。
Skype は即時すぎて、君はまだ言葉を持たない。
それでも迎え撃とうと、必死だ。

月曜日, 6月 27, 2011

ツゴウネルワイゼン!!!

名古屋へ夜行バスで帰る。一眠りして MSN を開いたら、鈴木清順監督が48歳年下の女性と再婚と報じられているではないか!
思わず「ツゴウネルワイゼン!」と書いて、ニュースのリンクを付けてツィートしてしまった。勢いだけで、ツゴウネルワイゼンに関連した意味は無い。調べたら「Zigeunerweisen」とドイツ語で、サラサーテが作ったバイオリン曲だ。聴けば、ああこれかとなる。激しく悲劇的にドラマチックである。鈴木清順の同名映画は内田百閒の小説「サラサーテの盤」を基にした脚本らしい。自分は知ったかぶりをして、見ていない。
殺しの烙印とオペレッタ狸御殿とピストルオペラしか…。かっこいい鈴木清順が見たくなった。カメオ出演で知ったあの御御大!

http://sankei.jp.msn.com/entertainments/news/110627/ent11062710450005-n1.htm

http://www.youtube.com/watch?v=pk6H4r7FfVI&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=yHTwr380TdM&feature=related

日曜日, 6月 26, 2011

落ち着く岡山

岡山を横断するなかで、彼らとこれかどう動くかということへ常に戻ってばかりで、気持ちは前向きになりにくいかもしれなかった。三人居れば社会ができ、同じところを見てもそれぞれ違う。
商店街にあった二階建ての喫茶店は素敵だった。ニューヨークの話が可笑しく、葛藤する絵描きらは疲れてもすぐに元気だ。
それから倉敷の美観地区を歩く。
落ち着いた街並みに気持ちが落ち着いていった。





土曜日, 6月 25, 2011

考える広島

以前から生返事の約束をしていて実現していなかった広島~岡山への遠征を実行。
広島現代美術館にて 高峰格「遠くてよく見えない」を見に。単身移動する。広島は初めて行く。岡山もだ。中国地方にあまり縁が無かった。東北もそうだけど。
展覧会は同題名の図録を購入していたので 内容を知っていたのだが、関係なく新鮮だった。本とは別物であることは明らか。本では作品と作品の間に綴られていた作家の思考が、展示では鑑賞者に委ねられている。
「a big brow job」のインスタレーションを抜けての「baby insadong」という流れが、言葉の機能を疑った後の実践のように感じられ、展示の最後は壮大な問いかけであったように思う。
アーティストトークがあり、高峰さんにとって言葉とは美術表現のなかでどのようなものかという質問が飛んだ。素材のひとつであるという答えが腑に落ちる。言葉は意味から分離せず、その状態も併せ持ってやって来る。と続きを考えた。

岡山駅で夜九時に待ち合わせのため、長居できず トーク後に駆け足で原爆ドームへ移動。路面電車は便利だ。ドームの建物はちっぽけにあった。周囲のビルは大きく、日常を営んでいる。そのちっぽけ具合が如何にもそのまま残してあるという印象を受けた。川沿いでギターをかき鳴らしている大学のサークル連中みたいなのが居て、平和を訴えているかのように思えた。観光客の間を自転車で走り抜けて行く部活帰りの高校生たち。原爆資料館の立体地図の上に赤い球体が吊り下げられていた。外人らが iPhone4 でマネキンを撮影していて、ある者はハンカチを顔に付けていた。汗がとめどなく溢れる日中だ。村上春樹が先日のスピーチで取り上げた「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」がこの公園にはある。

岡山へはバスで移動。車中ではずっと iPad の戦国時代ゲーム「源平大戦絵巻」をやっていた。ちょうど岡山県にあたる「児島」を攻める。

山岡氏、中尾氏と無事に合流。山奥にある中尾氏のアトリエに泊めてもらう約束で、その前に温泉へ行きたいとゴネる。検索して、稲荷山健康センターというところを見つけ 閉館ギリで入ることができた。地元コンビニ ポプラでビールを買って彼のアトリエで飲む。

http://www.hcmca.cf.city.hiroshima.jp/web/takamine/



金曜日, 6月 24, 2011

去来するよう

豊田市美術館へ。
フロントガラス越しでも掌が熱かった。
松井紫朗「亀がアキレスに言ったこと —新しい世界の測定方法」見る。
くだはつなげる為のものから、空間そのものへ。
巨大な立体物なのに、現実感は無く、突如 頭上に去来するよう。
洋食屋で新聞をめくり、震災と原発と。
大事もすべて現実感が無い。去来しているかおそらくここへも。

夜、「踊 読 谷 崎 ノ【鍵】」を見に。タナカアリフミ(演出家/サイレンスダンサー)、手塚恵(朗読家)によるパフォーマンス。会場は「あうん」という割烹料理のお店。よくライヴイベントを行っているようだ。照明を落として蝋燭の光を待つ。
複雑な試みをしていながら、生真面目に小説へ帰っていく。誰かが原作がある場での動きという経験が自分には無い。
2000年にタナカさん、山田珠美さん、小松氏らとマヨネズム内で行った「SOFA-Love Song」を思い出す。
あのとき僅かに全て原作はタナカさんからだったかもしれない。
ただ詩は自分の書き下ろしだった。
誰かの言葉を呼び寄せる前に、自分へ既に去来しているものを思う。
帰るか行くかは呼び方だけで。

http://www.museum.toyota.aichi.jp/exhibition/2011/temporary/matsui.html
http://www.mother.co.jp/silencescape/index.php

木曜日, 6月 23, 2011

基盤だけで遊べる時代が来るなんてね

それはゴミと化し、聞こえない、見えない。もうしらんと彼は駆け、洋楽を貪る彼女を背に。
ポリスはポリスだから、そんなに近寄って来なくて良いよ。
レッスンを忘れたタイツは独立できず、まだ浜辺に居る。
西日が強くて汗だくだ。ゲーセンでは誰とも話したくないと旧友は言った。家族のことなんて特に。基盤だけで遊べる時代が来るなんてね。

水曜日, 6月 22, 2011

涙目の

痛恨の9ピン。このていたらくなテキトーさを象徴するような。何もできない羽目に陥って。
暑さが日に増しているようだった。顔文字で話す、涙目の。機種依存で読めない。本当に?

火曜日, 6月 21, 2011

恋人の留学について

出会いたいのは彼からも。ここではないどこかの繰り返し。それは伝説に従う常だ。恋人はこっそり言葉を並べている。単純な単語で 読めない言語へ。私の思いの丈。それは普遍的に留学だ。Ich! Ich! Ich!

月曜日, 6月 20, 2011

大須で買い出し


とんちゃん屋さんで燻される USB to VGA。 それは痛恨の 9ピンなり。
スナフキンとムーミンと煮干しみたいなチョコ。夜九時 過ぎると眠気に襲われるこのごろ。

日曜日, 6月 19, 2011

since 1987 まだ君が好き

三重へ電車移動。津駅の前で kalas 最新号購入。今日は今夏に開催する 母校 久居高校の美術部 卒業生、在校生合同展「CUBE」の打ち合わせ。
チラシ、ポスターが完成したので 周囲への設置周りとメディアへ宣伝と仕事分担。そして郵送作業。かなり仕事量は多く、やり出せばきりがない。
展覧会を生業にしている者ばかりではなく、皆 二足の草鞋で取り組んでいる。その理由は「まだ君が好き」だからかもしれない。
なんて「大切な言葉はひとつまだ君が好き」(詞, 曲, 鈴木慶一/編曲, THE BEATNIKS/1987)を帰りに聴いていたからだけど。
あ、「CUBE」とこの曲は同じ since 1987 なのだ。

http://www.youtube.com/watch?v=JXTDI9ycWws

土曜日, 6月 18, 2011

きめ細かくあれ!

昼間は 地下鉄一日乗車券を買って回り、幾つかの展覧会を覗く。
一度帰宅して、今回の旅で壊れてしまったスーツケースのタイヤを修理しようとしたら 異様に眠くなって寝てしまった。
夜は福岡食堂へ遅れてしまいつつ、ドイツ土産を渡す。エンデとボイスの対談本 ドイツ語原書。
そして卒業制作のビデオを見た。それは音楽を受け手がどう愛でるかという呈示だった。
好きな方法は豊かにある。トールケースの紙帯まで捨てないもの。

それから意外にも福岡氏が好きだという「トロン レガシー」(監督, ジョセフ・コシンスキー/ジェフ・ブリッジス、オリヴィア・ワイルド/2010)を 2D でながら鑑賞。途中また寝てしまったが、後半は起きて結末まで見届けた。とにかく一貫した近未来デザインで突き進んでいくのが小気味良い。
父は吠えた。「きめ細かくあれ!」。

http://www.disney.co.jp/tron/

金曜日, 6月 17, 2011

どうでもいいことの快楽は強い

三年目の先生宅で神様の乱入。何故に制服がこうも崇高に扱われ、毎日まいにち トップニュースで AKB48らのことを騒いでいるのか。
いかにも海外かぶれの嫌な奴の言葉に果てそうだが、ここまで AKB48一色だったか。もっといろんな人がいるだろうに。いや、48人もいるからそれもカバーできるのか。
ドイツでもてめえが読めていないだけで芸能ネタでみんな昼休みは埋めてるんだと言われそう。実際には昼夜を問わず深刻な話ばかりしていられないのも分かる。ただ、自作自演のどうでもいいことの度合いが半端ない。いや芸術がここまで人を喜ばせているか?という問いが飛ぶ。わざわざ写真を油絵に描くことはない。どうでもいいことの快楽は強い。

AKB48 よりも古い、老舗 制服アイドルグループ、制服向上委員会が「ダッ!ダッ!脱・原発の歌」を発表したと知る。PANTA プロデュースあたりから、やたらに どうでもよくないことをどうでもいいテイストで訴えてきた ある意味ストレートで、ある意味 屈折したアイドルだ。化粧をしない、基礎スキンケアだけという印象の 恐ろしく素人なのがまた強烈である。
ここに、日本のアイドルの奥深さがあるのだろう。やはりメディアは一部しか宣伝しないが。

つまりはみんな制服を着せればアイドルプロデュースできると、誰が気付くかだった。漫画でもそう。

http://www.youtube.com/watch?v=Es75yjeaGII&NR=1

木曜日, 6月 16, 2011

朗読会でウケなかったから終わった途端 駅まで走ってパリへ帰っちゃう

寝れなくてツェランの本を読む。ドイツ語の Danken 「感謝」は、「思う」という語でもある。ブレーメン文学賞講演でそれが語られていた。
そしてフランクフルトの小さな通りのホテルで書かれた詩。
それはこんな思いではなかったか、と、この本は 大詩人の軌跡を追う。
詩の手ほどきを持った文学書であり、旅の綴りだ。
そして日本語だけでなく原文のドイツ語が並んでいるのが素晴らしい。

「パウル・ツェランへの旅」(著, 関口裕昭/2006)。

http://paulcelan.blog45.fc2.com/blog-category-16.html

水曜日, 6月 15, 2011

鳥串の横にヨーグルト

エリンギの味噌汁。駅前の鳥串。ピノもどきアイスクリームパック。安価な布テープで充分な梱包を。笑顔だけではない、美味しいものを探す目で、可愛がられる猫とムーミン。猫の鬱は可愛げ無いが、二階建てを始めて昇り降りして強くなった。足腰だけでなく、目つきが人を迎え入れる。自分には吹きつけ、蛙の鳴く田んぼを見下ろしている。千円くらいの上昇で原発の恐怖から逃れられるなら安いもの。いや本当はもっと面倒なことを僕らは話されているはずだった。何もないか。騒いでも何も起こらないから、部屋掃除に行き着くべきか。グラビアの語源。鳥串の横にヨーグルトを置いた彼は。

火曜日, 6月 14, 2011

ニャンチャンと遊びたい

猫の鬱は、渡独中に預かって頂いていた。
部屋は荒れ狂ったまま、鬱が居ないと寂しい。
無印良品の前でばったり会った 中山双葉さんの歌に「ニャンチャンと遊びたい」というのがあった。そんにゃ気持ち。
昨日、今日は蕎麦だけ食べて寝倒してしまった。

http://www.youtube.com/watch?v=OGv1gsNtOSY

月曜日, 6月 13, 2011

飲食 何を疑うか

焼酎ボトル六百円の店で、五月蝿い人。
いろいろ述べたくとも帰りは寝ていて、乗り換えに起こしてもらう。
原発報道は妙にマイルドになっている印象を受けた。テレビや新聞は穏やかに見れるという仕事をこなしている。ネットでは如何に生き延びるかを指南する者がいる。

ドイツでの食中毒、大腸菌 問題は、出元が特定できず、それでも皆 サラダを食べていたので、出して頂いたものは食べた。風評被害には立ち向かうしかない。福島産の野菜も、大丈夫だとされているものは食べる。激安をうたう店のほうが危ないかもしれない。

日曜日, 6月 12, 2011

ごそっと

機内の小さな座席画面で「ゲゲゲの女房」(監督, 鈴木卓爾/吹石一恵、宮藤官九郎/2010)を見た。
備え付けのイヤホーンは音が悪くて、ポコポコした音楽の奇妙さが充分に楽しめなかったけれど、吹石一恵の慎ましい声と、クドカンのハッハッハッハー。(これは水木しげるの口癖)気持ちよく。しかし背景に現代の町並みをそのまま映すことには賛同できず。無理矢理な演出かなと頭をかしげる。

主題歌が流れてきて、帰りには誰も頼んでいないビールを出してもらったりして。
また ひと眠りする。
ラブラドールレトリーバーの愛犬たちを思い出す。

http://www.gegege-eiga.com/

金曜日, 6月 10, 2011

Berlin again.

長距離バスでブレーメンからベルリンへ戻る。
フランクフルト、ブレーメンと数日で回ってくるという詰め込み過ぎなスケジュールで 疲れきったが、久々の面子に再会することができて何よりも嬉しかった。
DMY での「Berliner Naruheso Weltzeitung」を通して出会った方は、ドイツの方に限らず 様々な国の人々だった。
ベルリン自体が国際的な都市で、様々な人が集まって来ている。
日本人の方にも多く会った。
皆、何かをしようと動いていた。