金曜日, 7月 17, 2015

智慧の範囲

「集団的自衛権」の行使を認める「安全保障関連法案」が 15日に衆院平和安全法制特別委員会で可決された。国民の理解は得られていないと認めつつも、安部総理は採決に踏み込んだ。野党がプラカードを掲げ、反対と紛糾するなかで採決をするという異常な中継の画が流れる。

これで、今国会で法案を成立することができる見通しのようだ。戦後70年目にして、日本は大きな舵を切る。
「戦後から戦前へ」うまく現した風の言葉が過る。
憲法学者の多くは「違憲」と述べているが、ならばそもそも「自衛隊」は違憲ではないのかとツッコミが飛ぶ。スプラトリー諸島の埋め立てなど、中国が軍備を拡大してきていて、攻めてくるかもしれない。人権派の弁護士が多く拘束されたり、横暴なことが多い。北朝鮮も恐ろしいし、韓国とは何かと敵視しあうようだ。だからアメリカとの連携を強くして、戦争が起こらないための抑止力にしていく。つまりは軍事力には軍事力で対抗できるようにする。極めて普通の国に日本はなろうとしている。

普通の国こそが「戦後レジュームからの脱却」なのだった。
戦争が大きな過ちであったという反省を経て、日本は平和憲法を得た。戦争を放棄し、平和を希求するためには武器を持たないというビジョンは 特別なものだ。こう書くと、そもそも戦争は間違いではないし、憲法自体がアメリカからの押し付けで、時代にあっていないという意見があがってくるだろう。その反発も分からなくもない。自虐史観が周辺他国に利用されたり、日本自体への偏見を育てたりと問題も多い。
左から反発した振れ幅は大きく、一気に右の空気となる。今度は日本を取り戻すと誇りを持とうと無理に礼賛し、他国を敵視していく。極端なものは反応されやすく目立ち、人々を引き連れる。

しかし冷戦などの状況も乗り切って「平和国家」を保持してきたのは「智慧」ではなかったか。ときに「智慧」はずる賢いのかもしれない。「自衛隊」が軍備を持っていたり、沖縄に米軍の基地を作ることを認めたり、様々な方法で抑止力はあったのだ。非核三原則と言いながら、原子力艦を入港させていたり、原発の開発が武器転用ができる可能性も孕んでいたりと「どこが平和国家じゃい!」という見解もあろう。

今回の舵切りを「戦争抑止のための智慧の範囲」と見るか、「智慧の範囲を逸脱していて、抑止にならず逆効果」と見るかだ。
自分は逆効果だと思うし、平和憲法は日本に限らず、人類が見出した高い理念だと思うから、それを実現しようとする流れを支持したい。そんな生っちょろい理想論では現実は動いていないと言われるかもしれないし、中国の脅威を前にそんな甘いことを言っている場合ではない、憲法を守って国が滅んだら意味が無いという意見が出るだろう。

この法律は憲法を変えずに、解釈を変えるという判断で実行しようとしていて、そもそもの筋がおかしい。でも憲法を変えるのは大変で、時間を要するから、国民の安全平和を守るために抑止力を高めるのだろう。

しかし、安部総理は先の渡米時に、オバマ大統領に法案を決めると約束したという。既に筋書きはできているようで、抑止力を高める前に、平和が危機にさらされるときが既に用意されているのではないかと 勘ぐってしまう。何があろうが、憲法があるからと のらりくらりと派兵参加を回避できた最後の壁が崩されて、ケースバイケースで適用できるようになってしまえば、世界中の国が攻めてくるかもという情報が正しいかどうかなど誰も分からないのだから、いくらでも そのときの政府の都合が良いように自衛隊を出せてしまう。
それは普通の国だ。
こうして、人は歴史を繰り返すと傍観してしまう。いやそこまで大きな変化じゃないし、戦争したいなんて誰も考えていない。経済が潤うときは、ベトナム景気といい、そんなものだと。このままでは特別すぎて、普通に守れないと。

まぁ、皆 そう考えているのかもしれない。
そもそも国民の選挙で、自民、公明が選ばれているのだ。そこが一番重要だ。
誰かがクーデーター内閣とツィートしていて、それに対し「悪政なだけ」と返していたが、自分もそう思う。「悪政」を選んでいるのは「国民」なのだ。
この民主主義で決めていく「智慧」がある限り、この状況への違和感や賛同感は次の選挙投票に移すしかない。そこは覆されていない。デモやパフォーマンスでスッキリして、忘れてしまっては意味が無いし、うまくおだてていながら実は独裁的な野党が現れないとも限らない。状況は常に注視していないと見誤るだろう。
自分が 16日にツィートした文を基に進めたものを最後に書く。

"本当に重要な場面は ものすごく地味で、誰もその意見に賛同してくれるような空気ではない。
もう面倒だし、暑いから先へ行こうよと無言で紙を渡される。
運が良ければ、惨劇に出会わずに済むけれど、皆、確実に頭は悪くなっていく。
しまいには「ここではないどこかへ」とありがちな夢想をする。
そんな「どこか」は無いから、自分たちで作るしかない。"